もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――
岩垂 弘(ジャーナリスト)
第3部 編集委員として
第144回 世界的関心を集めた日本の生協――ICA東京大会開催へ |
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東京・新宿のホテルで開かれたICAの第30回大会(1992年10月) |
日本における生協の飛躍的な成長は、国内では社会的に話題になることもなかったが、海外にはこのことに注目した人たちがいた。世界の協同組合組織が加盟する国際協同組合同盟(ICA)の関係者である。
生協発祥の地は英国で、その後、英国から西ヨーロッパ各地に広がった。このため、西ヨーロッパは長らく生協の先進地とみなされてきた。が、世界の生協運動をリードしてきた、その西ヨーロッパの生協が一九八五年を境に軒並み倒産や経営不振に陥った。いわば「生協の崩壊」であった。とくに西ドイツ、フランス、オランダなどでそうした現象が著しかった。
当時、日本生活協同組合連合会の常務理事で世界の生協運動に詳しかった大谷正夫氏(故人)は私にこう語ったものだ。
「西欧の生協はなぜこんなことになってしまったのか。まず、スーパーなど他の小売業との競争に打ち勝つことを最優先させたため、背伸びをして力量以上の投資や、無理な経営をしたためだ。これが、結果的に自らを倒産に導く要因となった。それに、生協は組合員自身の組織であるという原点がないがしろにされたからだ。つまり、組合員による出資・利用・運営という協同組合の原則がいつのまにか形骸化され、生協が専従集団、すなわち経営のプロが主導する、一般の企業と変わらない経営体と化してしまったからだ」
要するに、協同組合の原則から外れた道を歩んだことが、「生協の崩壊」につながったというのだ。
いずれにしても、ICA執行部を覆った危機感は極めて深刻だった。では、西欧の生協を再興するにはどうしたらいいか。執行部が打ち出した再建策は、この際、組織をあげて協同組合とは何なのか、協同組合は何ができるかを、改めて根底から問い直してみようということだった。つまり、協同組合の原点に立ち返って、協同組合のあり方を論議しようではないかということだった。
そこで、ICAは一九八八年にスウェーデンのストックホルムで開いた第二十九回大会のメインテーマを「協同組合の基本的価値」とした。
すでに紹介したが、ICAのラーシュ・マルカス会長(スウェーデン)は、この大会での論議のためのたたき台として、自らペンを採って書いた『協同組合とその基本的価値』と題する文書を提出した。そこには「(協同組合の)挫折の理由として、第一にわれわれは未経験と無知とをあげることもできるだろうが、そこには協同組合理念からの多くの離反があった」として、「協同組合原則と価値とを固守しなければ、われわれは現在の経済状況では敗北を喫するであろう」と述べ、協同組合人はいまこそ協同組合の価値を確認すべきだと訴えていた。そして、協同組合の基本的価値として「組合員参加」「民主主義」「誠実」「他人への配慮」の四つをあげていた。
これらの文言でも分かるように、そこには、ICAとしての危機意識が如実に反映されていたといってよく、しかも協同組合の危機を招いた最大の原因は「組合員参加」の欠如にあるとの認識が明確に示されていた。
第二十九大会は「協同組合の基本的価値」というテーマをめぐって議論したものの継続審議となり、結論は次回の大会に持ち越された。そして、次の大会(第三十回大会)を一九九二年に東京で開くことを決めた。四年ごとに開催されるICAの大会はそれまで専らヨーロッパで開かれており、百年に及ぶICAの歴史上、アジアでの開催は初めてだった。異例のことと言ってよかった。
なぜ、東京が選ばれたのか。それは、日本の生協運動が世界の協同組合関係者の注目を浴びるに至ったからだった。その契機となったのは、一九八六年に東京で開かれた、ICAの専門委員会である生協委員会と女性委員会の合同会議。議題は「組合員参加」。ここで、欧米の生協で組合員の活動が後退したり、組合員の間で無関心が広がっていることが指摘され、対照的に日本では一般の組合員が班活動を通じて生協活動に積極的にかかわっていることが明らかにされた。
関係者によれば、こうした日本の生協の行き方に強い印象を受けたICA執行部が「世界の協同組合がこれから先、協同組合の基本的価値の一つに『組合員参加』を掲げるとしたら、この面で先行している日本の生協から学ぶ必要がある」として、ICA大会の日本開催を決めたのだという。
もちろん、大会の日本開催が決まった背景はこれだけではなかった。日本の農協もまた、この時期、世界の協同組合関係者から熱い視線を浴びていたことも影響していよう。
これもすでに紹介済みだが、一九八〇年に発表され世界的な反響を呼び起こした『西暦2000年における協同組合』(筆者は元カナダ協同組合中央会参事アレキサンダー・F・レイドロウ博士)の中で、次のように日本の農協の活動が高く評価されていた。
「都市は、多くの住民にとって孤独と疎外の大海である。ただ近くに住んでいるというだけで、それ以上のきずなは何もない。……協同組合の偉大な目的は、地域社会や村落を大都会に建設することである。多くの社会的経済的ニーズに応じて協同組合を設立すれば、地域社会の創設に総合的効果をおよぼすであろう。……協同組合地域社会なるものを創設するという点で、都会の人々に強力な影響を与えるためには、たとえば日本の総合農協のような総合的方法がとられなければならない」
「日本の総合農協が何をし、どんなサービスを提共しているか考えてみたい。日本の農協は生産資材の供給、農産物の販売をしている。貯蓄信用組織であり、保険の取扱店であり、生活物資のセンターでもある。さらに医療サービスや、ある地域では病院での診療や治療も提供している。農民に対しては営農指導もし、文化活動ためのコミュニティ・センターも運営している。要するに、この協同組合はできるだけ広範な経済的社会的サービスを提供している。もし総合農協がなければ、農民の生活や地域社会全体の生活は、まったく異なったものであったろう」
いまから見ると、過大評価だったのでは、という気がしないでもない。が、当時、「協同組合運動のバイブル」とされた『西暦2000年における協同組合』でこんなにも持ち上げられれば、だれしも日本の農協をこの目で見てみたい、と思ったにちがいない。こうした記述もICA大会の日本開催をうながしたものと思われる。
さて、第三十回ICA東京大会は九二年十月二十七日から四日間、東京・新宿の京王プラザホテルで開かれた。八十三カ国から一五〇〇人が参加した。当時、ICAに加盟する組合員は六億六〇〇〇万人。世界最大のNGO(非政府組織)の大会だった。なのに、これを報道したマスメディアは「朝日」を除いてほとんどなかった。
大会のテーマは「協同組合の基本的価値」「環境と持続可能な開発」「機構改革」の三つ。もちろん、メインテーマは前大会から継続審議の「協同組合の基本的価値」だった。
大会では、開会に先だって大会に提出されていた、S・A・ベーク・スウェーデン協同組合学会会長の報告書『変化する世界 協同組合の基本的価値』をたたき台に論議が交わされた。その結果、「変化する世界における協同組合の基本的価値に関する決議」を採択した。そこには「大会は次の行動を通じて協同組合がその基本的価値を表明すべきことに同意する」として「組合員のニーズに応える経済活動」「参加型民主主義」「人的資源の開発」「社会的責任・環境に対する責任」「国内・国際的協力」の五点をあげていた。
これにより、ICA執行部が提起した協同組合の基本的価値をめぐる八年間にわたる論議は一応の決着をみた。大会の前後には、海外からの大会参加者による日本の協同組合の見学が各地で行われた。
東京大会を迎えるにあたって、日本では、連合会レベルや単協レベルで「協同組合の基本的価値」についての学習会や討論会が活発に行われた。生協組合員が生協のあり方をめぐってこれだけ活発に議論したことはそれまでなかった。その後もない。
東京大会を記念して、劇団・前進座が『怒る富士』(原作・新田次郎)を農協、漁協、生協、共済などの協同組合組織とタイアップして全国で上演したことも特筆に値しよう。富士山の大爆発で降砂に埋まった山麓の農民と幕府の代官の交流を描いた劇だが、その内容が協同組合運動の理念に沿ったものということで、上演活動が展開された。東京大会に向けた運動の盛り上がりを示すイベントの一つと言ってよかった。
(二〇〇八年七月二十一日記) |
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