もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

                 岩垂 弘(ジャーナリスト)
  
   第3部 編集委員として

 第108回 続・光と影

工場内に張り出された模範労働者の顔写真(1977年6月、ボルゴグラードのトラクター工場で)




 ソ連における教育や医療の無料化、それに年金制度の充実、恵まれた労働条件などに「社会主義の成果」をみながらも、その一方で「これが果たして社会主義だろうか」と疑問を感じざるをえないこともあった。

 まず、社会主義建設にあたってこの国の人びとが支払わねばならなかったおびただしい“代価”である。具体的には、スターリンによる独裁と大粛清だ。
 一九五六年(昭和三十一年)のソ連共産党第二十回大会で行われた、フルシチョフ第一書記の「秘密報告」によれば「第十七回大会で選出された党中央委員および候補一三九名のうち、九八名すなわち七〇%が逮捕され銃殺された(おもに一九三七〜一九三八年)。……票決権または発言権をもつ一九六六名の代議員のうち、一一〇八名が、反革命的犯罪のかどで逮捕された。これははっきりと過半数である」とされる(中野徹三・高岡健次郎・藤井一行編著『スターリン問題研究』、大月書店、一九七七年)。 
 また、同書によれば、ロバート・コンクェストは、三〇年代の「大粛清」を研究した彼の著作のなかで、控え目な推測の結果として、一九三八年末までの大量弾圧の規模(一般囚人を含まず)を、次のように要約している。

一九三七年一月にすでに牢獄または強制収容所にいた者    およそ五〇〇万人
一九三七年一月から一九三八年一二月のあいだに逮捕された者 およそ七〇〇万人
計 およそ一二〇〇万人
そのうち処刑された者 およそ一〇〇万人
収容所で一九三七年―三八年のあいだに死んだ者        およそ二〇〇万人
計  およそ三〇〇万人

 哲学者だった柳田謙十郎はその著『スターリン主義研究』(日中出版、一九八三年)のなかで、こう述べている。
 「スターリン時代に強制収容所に入れられたものにはすべて『人民の敵』というレッテルがはりつけられた。それには、指導者の名誉を毀損したもの、コルホーズ建設に否定的なもの、スターリン憲法に賛成の態度を示さないもの、党の政策に積極的でないもの、トロツキーに反対しないもの、アメリカ合衆国に好感をもつもの、その他各種の人たちがこれにあてられた。その犠牲者は割当制によってつくりあげられたり、密告制によってこしらえあげられたりした。……かくて人びとは、男女をとわず、老幼にかかわりなく、いつどこでどんな理由で密告され、一〇年の刑と五年の公民権剥奪にあうかわからなかった」

 まさに、想像を絶する悲惨な事態である。スターリンにより「社会主義の建設」の名のもとに多くの人命と人権が失われたのだった。
 それから四十年を経たソ連を私は旅行したわけだが、そして、たった四十八日間の旅であり、この目で見た地域も広大なソ連のほんの一部にすぎなかっのだが、どこへ行っても、表面的には、この「大粛清」の痕跡を見ることはできなかった。人びともまた、このことについては黙していた。
 が、私は旅の間中ずっと、この「大粛清」が、この国の政治、経済、文化、人びとの心と生活にどんな影響を与えてきたのだろうか、そして、世界の社会主義運動にどんな影響をもたらしてきたのだろうか、と心の中で問い続けていた。そのどちらにも、決定的な影響を与えてきたことだけは疑いなかった。いずれにしても、社会主義のイメージを損ない、社会主義に対する嫌悪感、警戒感を増幅させてきたことだけは確かだった。それだけに、「大粛清」についてスターリンに対する批判はなされたものの1977年の時点でみる限り、ソ連当局によってその実態が完全に明らかにされていないこと、ひいては不当に犠牲になった人たちの名誉回復と救済がほとんどなされていないことに私は納得できないものを感じたのだった。何かそこに暗い闇のようなものを感じた。

 第二は、ソ連の社会主義の実態が、私がそれまで抱いていた社会主義の理念とかけ離れていたことである。
 私がそれまで抱いていた社会主義国家のあるべき形態とは「働く人びとが主人公である国」ともいうべきものだった。
 現に、私がソ連取材に出発する前に読んだ、在日ソ連大使館広報部発行の『ソビエト連邦一〇〇問一〇〇答』は、「この60年間に、社会主義は人間に何を与えましたか」との質問に次のように述べていた。
 ――人民を真に国の集団的主人公にした。
 ――人民をあらゆる形態の搾取から解放した。
 ――階級、身分、人種、民族その他による特権を廃止し、現実的な社会主義的平等を確立した。
 ――1人ひとりの市民の前に、生産集団、都市、全社会の業務管理に実際に参加する可能性を開いた原則的に新しいタイプの民主主義を創造した。

 が、ソ連各地を旅しているうちに、果たしてソ連側のいう通りだろうか、という疑念を禁じえなかった。例えば、こんなことがあった。
 その一。共産党の幹部と話していた時のことだ。その発言にこんな表現があった。「われわれは国民に仕事を与えている。住宅を与えている。無料の教育を与えている。このように、ソ連は人間の権利が保障される社会に向かっている。ソ連には、差別待遇はない」
 それを聞きながらオヤと思った。国民にとって、仕事や住宅や教育の無料化は国から「与えられる」ものだろうか、と。「与える」という言葉には「上」の者が「下」の者に恩恵をほどこすというニュアンスがともなう。ならば、「人民が真に国の集団的主人公」であるはずのソ連では、こういう表現は適切でないのではないか。せいぜい「国民は仕事や住宅や無料の教育が保障されている」というべきではないか。とにかく、私は、この国の高い地位にある人が「国民に与える」という表現を使ったことが、ひどく気になった。

 その二。私たちが羽田を出発したのは五月二十五日だが、その朝の新聞各紙はソ連に関する衝撃的なニュースを伝えていた。各紙によると、前日のモスクワ放送が、ポドゴルヌイ最高会議幹部会議長が党政治局員を解任されたと発表したというのだ。ポドゴルヌイ議長といえば、ブレジネフ書記長、コスイギン首相と並んで“トロイカ体制”の一角を占めてきた人物。その人物が党政治局を追われたというのだから大ニュースである。
 モスクワに着き、さっそく在留邦人に「解任の理由は?」と聞いてみたが、「まだ発表がない」とのこと。その後も解任理由の公式発表はなく、六月十六日になってやっと解任経過が明らかになった。五月二十四日の党中央委総会で、ブレジネフ書記長が最高会議幹部会議長を兼任することが決まり、それにともなってポドゴルヌイが政治局員を解任されたというものだった。ポドゴルヌイが自ら引退したのか、ブレジネフ書記長との権力闘争に敗れてクビをきられたのかは分からない。
 いずれにせよ、ソ連の最高会議幹部会議長といえば、元首である。いわば国のトップの身の上に重大なことが起きたというのに、その理由について三週間以上にわたって何も発表されないという、この不思議さ。西側では、まず考えられないことである。モスクワの在留邦人によれば「わたしの知っているロシア人たちも、みな、不審がっている」とのことだった。
 共産党も政府も国家の重大な事柄について国民に知らせようとしない。「よらしむべし、知らしむべからず」。そんな言葉を思い出した。

 その三。ソ連滞在中、トラクターや乗用車の製造工場を見た。どの工場も生産目標の達成に躍起だった。工場構内を回っていて思わず足を止めた。どこでも、何人かの労働者の肖像写真が工場内に掲げられていたからだ。聞くと、良い成績をあげた模範労働者だという。彼らには奨励金のほか、外国旅行、休養の家の利用券など数々の特典が与えられる。
 さらに先へ行くと、サインペンで書いた労働者の名簿と数字が掲示してあった。何だろう、と思って訊ねると、労働者の作業成績一覧表とのこと。なかに、サインペンの色が違う名前があった。成績の悪い労働者の氏名だという。
 模範労働者の顕彰と、成績の悪い労働者の明示と。それを見ていると、アメとムチという感じがしないでもなかった。生産を上げるために導入された「競争原理」なんだろうが、それが資本主義国の工場で行われているならともかく、労働者が主人公の国とされるソ連で行われていることにある種の感慨を覚えた。
 私は、そこに、生産における労働者の受動的な地位を感じた。つまり、生産を管理する労働者ではなく、生産過程の中で管理される労働者を見たように思った。社会主義とは本来、労働者が生産を主体的に管理するということではなかったか。そんな思いが残った。

 これらの見聞を通じて、私はこう思うようになった。確かに、この国では革命によって生産手段の私有が廃止され、人間による人間の搾取はなくなった。そうした意味では「人民が真の国の集団的主人公になった」。が、その人民には二つの階層が形成されているのではないか。すなわち「指導する者」と「指導される者」である。あるいは「管理する者」と「管理される者」といっていいかもしれない。もちろん、「指導する者」は少数であり、「指導される者」は圧倒的多数の市民だ。
 「指導する者」はどんな人たちだろう。それは、共産党と政府の幹部である。政府の幹部もほとんど党員というから、実質的には党の幹部が「指導する」地位を占めているといってよい。その幹部の下に党機関、政府機関の運営にあたる膨大な官僚群がいる。
 情報と生産と行政の実権をにぎる、この「指導する者」の側に属する階層。ソ連のこの支配集団を、旧ユーゴスラビアの元副大統領だったミロヴァン・ジラスはかつて“新しい階級”と呼んだ。

(二〇〇七年四月八日記)





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