もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

岩垂 弘(ジャーナリスト)

  第1部 心構え、あるいは心得

 第12回 「デッド・ライン」


盛岡駅の夜景(1959年)


 入社前、新聞社には、原稿の締め切り時間というものがあるだろうとは思っていた。が、一九 五八年(昭和三十三年)四月に朝日新聞盛岡支局に赴任して驚いたのは、その時間の早いことだ った。
 支局員はもっぱら、地方版(岩手版)の原稿を書いていたわけだが、当時岩手版の締め切り時 間は確か午後四時二十分だったと記憶している。しかも、これは、私たち支局員がデスク(支局 員が提出する原稿を添削し、完全原稿に仕上げる人。机=デスク=でそうした業務を行うことか ら、デスクというネーミングになったと思われる。通常、支局長に次ぐ次長が務めるが、当時の 盛岡支局には次長はおらず、支局長がデスク業務をしていた)に原稿を出す際の締め切り時間で はない。デスクが東京本社に原稿を送り終わらなくてはならない時間であった。   
  したがって、私たち支局員は、支局長が原稿に目を通す時間を考慮に入れて、その前の午後三 時ぐらいまで、どんなに遅くても三時半までには原稿を書き終わらなくてはならなかった。
  支局長が見終わった原稿は、支局員の一人が支局と東京本社を結ぶ専用電話で東京本社の連絡 部に送った。専用電話の受話器に向かって原稿を読むことを「吹き込む」といった。それも、た だ原稿を読み上げるのではない。「電話送稿の手引き」に従って、文字を説明しなくてはならな い。例えば、「学院」は「学問の病院」、「漁協」は「スナドリのリッシンベンの漁協」、 「ア」は「あさひのア」、「サ」は「さくらのサ」、「ヰ」は「むずかしい井戸のヰ」と説明す る。
 とにかく、大声で吹き込むと、汗が出て身体が熱くなった。
 吹き込まれた原稿を専用電話で受けるのは連絡部の速記係だった。だから「速記さん」と呼ば れていた。速記さんは、原稿を翻訳して通信部整理課に回す。地方版の編集をするところだ。そ こを通った原稿は工場に降ろされ、印刷されて新聞となる。そして、出来上がった、岩手版の載 った新聞は上野駅に運ばれ、夜行列車で岩手まで運ばれてくるのだった。早朝、駅に着いた新聞 は販売店の手で読者宅に配達される。
 こうした新聞制作の行程を逆算して設定されたのが、締め切り時間だった。東北は東京から遠 隔の地であり、しかも、岩手県はその中でも青森県や秋田県とともにその北部に位置していたか ら、新聞社としては朝に新聞を読者のもとに届けるためには、前夜、それも早い時間に岩手行き の新聞をつくらなければならなかったわけである。このため、当時、社内では、岩手版は「早 版」と呼ばれていた。

 それにしても、「午後四時二十分」という締め切り時間は、原稿を書く身にとってはつらかっ た。なにしろ、午後から始まる各種団体の会議とか集会は、たいがい、その時間には終了してい ない。終了を待って原稿を書くと、会議や集会の記事は翌日の新聞には入らず、翌々日の新聞に 載ることになる。これでは二日後の報道となり、まさに「旧聞」となってしまう。地元紙より二 日遅れ。これでは勝負にならない。
 だから、私は時々、「会議の結末はこうなるだろう」という見通しをたて、それに基づいて原 稿を書いた。見通しが狂うと、誤報になる。このため、見通しをたてるにあたっては、判断の材 料となる情報をできるだけ豊富に集めるなど、慎重を期すよう心がけた。いずれにしても、「早 版」地域にいたおかげで、新聞記者にとって事態や事象の推移について見通しをつけること、す なわち、ものごとの行く先を見極めることの重要さを学んだ。 
 ところで、すべての原稿を電話で送ったわけではない。そんなことをしようものなら、膨大な 時間を要す。それに速記さんの負担も過重だ。そこで、専用電話で吹き込んだのは「日付もの」 といって日付のある原稿である。例えば「OO日、盛岡市で火事があり……」、「県教育庁はO O日、教員異動を発表した」といった類の原稿だ。
 これに対し、日付がない不急の原稿は「このほど原稿」と呼ばれた。「県農林部はこのほど△ △計画をまとめた」とか「盛岡鉄道管理局はこのほど△△について検討を始めた」といった類の ものだ。こうした原稿は「書き原」とも呼ばれ、電話でなく、列車で東京本社へ送った。
 支局員は「書き原」を夜、支局で執筆した。出来上がると、支局長が夜十時ころから手を入 れ、完全原稿に仕上げた。それを社名のついた原稿袋に入れ、車で盛岡駅に届けるのは支局員の 仕事だった。上野行き急行列車は確か午後十一時半か午前零時三十分発だったと記憶している。 執筆が長引いてこれに間に合わないと、午前二時半か午前三時発の列車に原稿袋を託した。
 同じ年に入社して、関東の支局に配属された同僚に会ったら、「岩手は締め切り時間が早くて いいだろう。早めに原稿を送ってしまえば、夜はたっぷり遊べるんだから」といわれた。しか し、私たちは、深夜まで、時には明け方まで岩手版を埋める原稿の執筆に四苦八苦していたの だ。

 どんなに内容の優れた原稿でも、締め切り時間に間に合わなければ、新聞に載ることはない。 締め切り時間を守ってこそ日の目をみるのだ。いうなれば、締め切り時間は、新聞記者にとって 「デッド・ライン」である。締め切り時間を絶対に守ること。これは、もの書きにとって最も重 視されている原則なのだ。





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