もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

                 岩垂 弘(ジャーナリスト)
  
   第2部 社会部記者の現場から

 第39回 スタートは事件記者


1964年7月の東京・有楽町周辺。左手前から二つ目のビルが
朝日新聞東京本社(朝日新聞社発行の「有楽町60年」から)




 朝日新聞静岡支局を後にした私は、一九六四年(昭和三十九年)二月十一日夕方、東京・ 有楽町にあった東京本社に到着した。エレベーターで三階の編集局に上がり、「社会部」とい う表示がつり下がった一角に進んだ。人影はまばら。窓側に近いところに大きな六角机があ り、その一端に大柄ないかつい感じの中年の男性が座り、忙しそうに原稿をさばいていた。
 「静岡からきた岩垂です」と名乗ると、男性は顔をあげて言った。「おう、岩垂君か。ご苦労 さん。君は七方面担当だ。すぐ、警視庁クラブに行ってくれ。そこで、詳しい説明があるか ら」。そして、すかさず六角机にぶら下がっていたハガキよりやや大きめの紙を引きちぎって サインすると、さっと私の方に差し出した。
 後で知ったことだが、六角机に座っていたのは本番のデスク(次長)。紙は車に乗るための 伝票で、デスクによるサインは、社用による乗車を許可する、という印だった。

 社会部に到着する前、私は新たに社会部員になった者への部の対応をあれこれ想像して いた。私が担当することになるポストについて、しかるべき人による説明があるのだろうか。 それとも、しばらく部の机に座って、社会部の仕事の概要を覚えろ、とでも指示されるのだろ うか……
 が、こちらが着任を告げると、間髪を入れず「すぐ、警視庁にいってくれ」だった。そこに漂 っていた、快いぐらいの、きびきびとしたテンポとスピード感に「社会部に来たのだ」という実 感がわいてきた。
 一階の運輸部の窓口に伝票を差し出し、正面玄関で待っていると、目の前に黒塗りの乗用 車がすべるようにやってきた。前部には、かつての海軍旗のような社旗がはたてめいてい た。それに乗り込み、桜田門の警視庁に向かった。座席に身を沈めると、「きょうから社会部 記者なんだ」という緊張感と高揚感が、体中を駆けめぐった。

 警視庁記者クラブ(七社会)は警視庁(改築前の旧警視庁ビル)の二階にあった。記者クラ ブの一隅が、書棚などで囲まれた朝日新聞のブース(区画)になっていて、数人の記者がた むろしていた。あいさつすると、キャップと名乗る記者が、私の担当を説明してくれた。
 私がやることになった仕事は、俗にいうサツまわり(警察まわり)。このころ、社会部にきた 者の最初の仕事は、例外なく、このサツまわりだった。
 当時、社会部のサツまわりは八人だった。そのサツまわりは警視庁の各方面本部ごとに 配置されていた。第一方面本部の丸の内署、第二方面本部の大崎署、第三方面本部の渋 谷署、第四方面本部の淀橋署(今の新宿署)、第五方面本部の池袋署、第六方面本部の上 野署、第七方面本部の本所署にそれぞれ警察記者クラブがあり、社会部は第一方面から第 六方面までに各一人、第七方面に二人を配置していた。第七方面だけ複数となっていたの は、この方面がとりわけ事件・事故が多発する地域だったからだ。

 私が配属されたのは、この七方面だった。本所署内にある記者クラブを拠点に、墨田、江 東、江戸川、葛飾、足立の五区十一署を同僚記者と二人でカバーすることになったのだ。十 一署とは本所、向島(墨田区)、深川、城東(江東区)、小松川、小岩(江戸川区)、本田、亀 有(葛飾区)、千住、西新井、綾瀬(足立区)の各警察署だ。
 当時、この広大な東京の五区は、新聞記者の間で“川向こう”と呼ばれていた。ここでいう 川とは隅田川のことである。また、江東地区とも呼ばれていた。「江」がやはり隅田川を指し ていたのはいうまでもない。さらに、この地域は「下町」とも呼ばれていた。

 二月十四日、私は、墨田区の国鉄総武線両国駅の近くにある本所署内の記者クラブへ初 めて“出勤”した。
 記者クラブは同署の中庭に面した別棟の建物の二階にあった。外から階段がかかってい て、それを昇るとクラブだった。狭い部屋に各社の記者がつめていた。この記者クラブが「本 所署記者クラブ」とか「下町記者クラブ」、あるいは「墨東記者会」と名乗っていることを知っ た。「墨」とは隅田川の意だ。
 クラブ加盟社は「朝日」の他に、毎日、読売、産経、東京、共同通信、NHKなどだった。ほ とんどの社が二人の記者を常駐させていた。NHKはカメラマンも常駐していた。全員、男だ った。
 私の相棒は、佐藤国雄記者だった。まもなく、佐藤記者は警視庁クラブに移り、彼の代わり に広本義行記者がきた。私はこの七方面担当中に結婚し、文京区のアパートで世帯をもっ たので、そこから本所署に通った。

 当時、NHKテレビの人気番組の一つに『事件記者』というのがあった。事件を追いかける 警視庁クラブ詰めの記者の活動を描いた集団ドラマだった。映画にもなった。事件を追う新 聞記者の存在が、これらの作品を通じてようやく世間に知られつつあった。





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