起きられない!

10月7日日、晴、28度

台風25号はなんとかやり過ごして、仕事をした。空港が閉鎖される午後7時までは順調だったが、夜になるとさっぱり。台風の時は飲み屋が繁盛するという沖縄あるあるも、さすがに24、25と連続した大型台風には自重したのか人出はまったくなし。あるいは連休疲れで、お金を使い果たしたのかも。今週末もまた3連休で、那覇大綱引きが開催された(奥武山でのフェスティバルは台風のために中止されて、これを残念がる人も多かった)。この綱引きは大動脈である58号線を一部封鎖、中央分離帯を撤去して行われるという、写真で見るだけでもすごい迫力で、人出も半端ない。人混みは嫌だが住まいから近くだし、雰囲気だけでも味わいたいと思っていたが、起きたのが3時半。出勤までに余裕がなくて、素通りしてしまった。

実はこの日は知名オーディオの創業者のトークショーがジュンク堂書店で3時からあって聞きに行きたかったのだが、これも寝坊でパー。「ひとつのことを掘り下げてゆけば何でもできる」という彼の言葉をラジオで聞いて深く心にささった。これこそ自分に最も欠けていると自覚していることだったので、会って影響を受けたいと思ったのだ。だが、またしても怠惰で出会いを逃してしまった。以前は1時ごろには目が覚めていたのだが、最近はなかなか起きられない。その分寝るのが遅くなってきている。このブログも寝付けないので朝の7時過ぎに書いている。

9日に娘が沖縄に遊びに来る。親しい友人に会うためらしい。10日が自分の休みなので、ドライブすることにした。おすすめスポットを聞かれたが、まったく遊んでないので、情けないことに答えられない。まもなく移住してから6か月になるのだが、いわゆる観光的なことは首里城に行っただけだし、有名な店での飲食もまったくしていない。沖縄料理も数日前にようやっと海ぶどうを食べたぐらいで、名物のソバもステーキも食べていない。意地になっているわけではないが、定住するのだから観光客みたいに沖縄をガツガツと消費したくないのだ。気候や風土、風習などを体験しながら、生活感として沖縄を味わいたい。ゆっくりじっくりとあせらずいろんなものに出会ってゆけばいいと考えている。思いがけない娘とのドライブで否応なしに新たな沖縄体験ができると、楽しみにしているところだ。

秋月や 異郷でひとり 咳をする

【今日の一句】咳をしても一人 絶対的孤独を詠んだ天才の句があるが、自分の孤独感はそれほどのものでもない。退屈でうんざりして眠れない最悪の休日。それでも悩まされた寝苦しさもようやく和らいで、秋の月が冴え冴えと浮かんでいる。窓を開けて眺めていると、涼気が忍んできて思わず咳をしてしまった。(実体験だが、ありがちな表現でちょっとうんざりする)

台風24号

10月2日火、晴、28度

今日は爽やかな風が吹いていて、とても過ごしやすい。沖縄に来て一番涼しいと言っても過言ではない陽気。

半月ほど空いてしまった。その間のトピックは、事故をもらった、台風24号にビビったことぐらいか。事故は危ないと思っていた沖縄のドライバーの運転傾向から起こった。とにかく大部分が一旦停止をせずに脇道から頭を出してくる。自分に当たってきた車もまったく止まることなく突っ込んできた。低速だったので車が傷ついただけで済んだが、ちょっとしたトラウマになる。沖縄のドライバーの運転が怖くてしかたがない。あとストレスなのは夕方の大渋滞と、必要以上にのろのろと走る車。沖縄のローカルルールにだんだん腹が立ってきているところ。でもこれにイライラするのでなくて、慣れるべきなんだろうな。さもないとそのイライラ感が事故を招きかねない。

24号は地元の人も「久々」というぐらいの大型。29日はビビって仕事を休んでしまった。30日に仕事に出ると、引きちぎられた樹木の残骸がいたるところに。さすがに片付けられていたが、道路を塞いだ倒木も多数あったようだ。自身の被害としては停電で夜の1時間ほど不自由な状態を強いられたことと、休んだことでかなりの収入の低下を招いたこと。那覇は都会だから停電もこの程度で復旧したが、田舎では数日停電が続いているらしい。今週末には25号も来るらしいから嫌になる。

11月からシフトの曜日を固定してもらえるように社長に頼んだ。月曜と木曜を休みにして3勤1休、2勤1休のスパンでの勤務。稼働日が減るが、出稼ぎに沖縄に来ているわけではないので、収入減もいたしかたない。休日には習い事を始めるかサークルに参加して、懸案のコミニュケーション面を少し充実させる予定。ギターかウクレレを習うか、英会話のサークルに入るかなどと考えている。

島ぐらし ひと夏分の 汗におう

【今日の一句】タオルケットから汗のにおいがする。暑くて汗をかいた日々の積み重なり。ああ沖縄に来て初めての夏が終わろうとしているんだな。人生のささやかな痕跡がここにある。

屋台村の博多美人

9月12日水、晴、31度

すっきりと晴れた初秋らしい天気。だが日中はまだまだ暑い。昨日は会社の検診があった。懸念していた血圧は不思議なことに下がっていた。どういう訳だか、やっと薬が効いてきたということか。とりあえずひと安心。面倒なことにならずにすみそうだ。だが、今のままの暴飲暴食の安楽な生活を続けていると、すぐにでもしっぺ返しがくるだろう。とわかっているのだが、なかなかやめられない。

浴室のタイルのカビが目立ってきたので、漂白剤を使って掃除。100円ショップのカビ取り剤とトイレ用塩素洗剤で十分だ。塩素の匂いにはまいったが、結果はとてもきれいになって気持ちが良い。何事も日々の手入れが大事だと実感するが、こまめにやるのはこれまた難しい。今日の休日も買い物に出ただけ。すっかり引きこもり状態に慣れてしまった。仕事で観光地や繁華街の裏側を見ているので、休日にわざわざ行く気にならないのだ。近所に安いレンタカー屋があったのだが現在工事中で、これが完成したら車を借りて県内をドライブしてみたいとは思っている。ともあれ今はこの完全な孤独状態を気に入っているので、耐えきれなくなるまでこのままでいようと思っている。

肩の痛みが治まらない。温湿布をベタベタはって一日様子をみたのだが、効果はあまりなかった。シャワーで温めると多少楽になる。やはりバスタブがないのが致命的だ。痛みがなければシャワーだけで十分だと思うのだが、この状態では……。国際通りから少し入ったところに沖縄では珍しい日帰り温泉施設がある。だが、自転車で十分ほどの距離でも出かける気にならない。以前、Tさんというおじいちゃんと知り合って、彼が屋台村に福岡出身の美人がいると教えてくれた。屋台村は温泉の近くなのでそのうち行こうと思ってから、もうすでに二か月以上たっている。ところが先日、そこの店長さんを乗せた。Tさんのことを話すと飲み友達だという。博多美人は恵ちゃんというそうだ。ここまで縁があるならぜひその美人に会いに行かねばならぬのだが、ものぐさゆえに、はてどうなることか。

空青し ちぎった木の実 投げてみる

【今日の一句】残暑は続くが、生け垣の木の実はすでに美しく赤く色づいている。朝の澄み渡った秋の気配に心浮きたち、思わず一粒ちぎって投げ上げてみた。その赤を目で追った先には、どこまでも高く青い空が続いていた。(これも何度も推敲してみたが、表現が決まらなかった一句。発想の貧困さを痛感する)

死を想像してみる

9月10日月、雨後曇、31度

書くことがなくても、あまり時間をあけると備忘録としての価値を失う。このブログ、何人の人にアドレスを伝えただろう。たぶん5人ぐらいかな。自分以外の人が読む可能性があるということをここでは度外視して、つまらないことも記録してゆこうと思う。

さて沖縄の気候。朝晩は涼しいと感じることもあるが、日中はまだ暑い。今日は夜になって蒸し暑さが増して、エアコンのお世話になることに。体には悪いと思いながら、一晩中つけている。体に悪いといえば飲酒に夜食。これがどうにもやめられない。腹に肉がついてたっぷんたっぷんしている。これは60年の人生で未だなかった事態。好きなことをして寿命が縮まるなら可だと思っているが、何らかの欲求不満の代償がこれなら、行動を変える必要があるだろう。

右肩が痛くてつらい。五十肩というのだろうか。発症後一年ぐらいで痛みは自然におさまるとネットで調べてわかったが、この痛さは毎日を憂鬱にさせる。こんな辛さがたくさん押し寄せるのが老いるということなのだと痛感する。とはいえ精神年齢はまだまだ若い。若いというより幼い! たぶん18ぐらいからそんなに進化してないと思う。外見と内面のギャップに驚くばかりだ。

明日は会社の検診。病院でも精密検査をしようと言われている。どんな結果が出ても、医療の盲目的な奴隷にはならないつもり。こんなことを思うと、自分の死後のことを考えざるを得ない。今のスタイルで生きていると、たぶん野垂れ死にちかいかたちで最期を迎えると思う。でも孤独死しても誰にも迷惑をかけたくないな。それにはどうすればいいんだろう。あと30年生きるかもしれないが、明日死ぬかもしれない。周りへの配慮も今から言葉にして残してゆく必要があるだろう。

かくれんぼ 西日が教える ちさき影

【今日の一句】夏の日は長い。夕方になってもまだ子どもたちはかくれんぼをして遊んでいる。うまく隠れたつもりでも傾いた西日が、小さな影を地面に写している。トッちゃんみいつけた!

こんなにちっぽけな俺が隠遁生活を気取ってみてもお笑い草だな。さて俺はだれに見つけて欲しいんだろう?

血圧に難あり

8月31日金、晴、32度

なかなか句が拾えない。平々凡々な日々を送っていると、感性も鈍くなる。

1ヵ月ぶりに病院に行ったが血圧が下がらない。生活習慣や食事の内容が変化したせいだろうか? 検査をすることに。面倒なことにならなければ良いと思う。会社から商品券をもらったので電気ロースターを買う。食生活がワンパターンになっているので、来月は電子レンジを買おうと思う。これらで料理のレパートリーが広がるはずだ。

不注意でバンパーをこする。軽微な傷で、おとがめもなかったのだが、気が滅入る。後ろを見ないでバックする癖がたまにでるので要注意だ。慣れてきて慢心したせいだと思う。「仕事をなめるな」という警告だと受け止めたい。

仕事に関していえば、最近那覇空港での付け待ちを始めた。楽だが効率が悪い。1時間半待って1300円ぐらいの感覚。これなら国際通りで2回ワンメーター拾ったほうがいいかもしれない。試行錯誤中。

夏夕べ 手持ち無沙汰に ひとり飲む

【今日の一句】休日、雑用をこなすともう夕方。でも沖縄の日没は遅い。まだまだ気温が高くて、出かける気にもなれない。ということで夕焼けを眺めながら酒を飲み始める。部屋での飲みが楽でいい。「手持ち無沙汰に」というのは口実だな。待ってましたとばかり飲み始めるのだから……。

アカショウビン

8月20日月、30度、晴

少し秋めいてきた。沖縄では旧暦の7月15、16、17日がお盆となるそうだ。今年は8月23、24、25日がそれにあたり、本土とはまったく違う日にちで行われることを知った。内容も盛大かつ独特の行事があるみたいだ。住んでみてはじめて分かったことで、ここでは旧暦が未だに生きている。旧暦併記のカレンダーを手に入れないと沖縄の生活感覚はつかめないようだ。

19日で運転免許の違反歴がゼロに戻った。移住4か月目にして、身の回りの要件が整ったような気がする。住居も、家財も、仕事も、必要最低限なものは揃った。ようやく助走期間を終えた気分だ。9月からは新たなステージ、プラスアルファを求める歩みになる。

轢かれしは 図鑑で知りし アカショウビン

【今日の一句】西原の琉大附属病院近くの県道に、羽を痛めたのだろうか、アカショウビンが飛び立とうともがいていた。オレンジの羽毛に同じくオレンジの大きな嘴。まん丸の黒目が必死さを生々しく訴えている。

バードウォッチングを趣味にしたのは新婚当時、新浦安のマンションに住んでからだ。東京湾奥の三番瀬につながる浅瀬の埋立地で、干潟や空き地は野鳥の宝庫となっていた。ギョギョシ、ギョギョシと聞いたこともない鳴き声の鳥はなんなんだ、と双眼鏡を買って調べだしたのが始まり。新浦安で魚釣りや潮干狩り、バードウォッチングやバーベキューなど四季折々に自然を満喫し楽しんだのが、その後の那須や沖縄移住につながったのだと言ってもいい。

東京周辺でもかなりの鳥を見ることができたが、ヤマセミ、サンコウチョウ、オオルリ、アカショウビンは図鑑で見るだけで会うことはできず、憧れの鳥となっていた。那須に住むようになってヤマセミ、オオルリには会えた。そしてここ沖縄で思いがけずアカショウビンとなんとも悲劇的な遭遇だ。どうすることもできず、目をそらして走り去ってしまった。帰り道、行き交う車に何度も何度も轢かれたのだろう、オレンジ色の布切れみたいにペシャンコになって、そこにあった。なんとかして飛び立とうとする絶望的な姿が、痛々しくて未だに胸をはなれない。

La La Landを見た

8月12日日、晴、31度

huluでやっていたので今更ながらLa La Landを見た。面白かった。オープニングからやられたね。イライラ感満載の渋滞のハイウェイを、カーラジオから流れてくる音楽によって一挙に祝祭空間に転換させる。例のキャッチーなテーマソングと質感のある映像がマッチして楽しい。このすぐれた発想に魅了されて、いきなり心をわしづかみにされてしまった。ワンクリックで次の映画が見れるhuluの中にあって、エンディングまで見たいと思った数少ない映画のひとつになった。

ミュージカルということで、本当は気が進まなかった映画だ。ミュージカルにはミュージカルの作法があるということはわかっているのだが、誇張された表現にどうしても気持ちがついてゆかない。だけどこの映画は何も違和感もなくすんなりと世界に入って行けた。このあたりの自然な感じも好感のもてたところだ。星空に浮かんで二人で踊るシーンなんかはちょつとツーマッチかなと思ったが、ミュージカルの枠組みからすればぜんぜんオッケー。他にやりすぎかなと思ったところは、もうひとつの選択肢としてあったかもしれない人生を映像で逐一たどって見せたこと。そこまでしなくても、クライマックスのシーンが成功する工夫がなにかできた気がする。

若い時の恋。それぞれが自分の夢を追いかけている。二人はとても楽しくて幸せだ。ただ、そんなことは当たり前だと思っていて、自分にはもっと大きな可能性に満ちた未来が待っていると信じている。あとから振り返ってみなければ、二人の愛がどんなにかけがえのないものなのか気づけない。若い二人は当然のごとくそれぞれ自分の可能性を求めて歩んでゆく。そしていつの間にか歩んでゆく方向が異なってゆく。

二人とも夢をかなえたのは映画的な演出だけど、現実はそうはうまくいかない。二人とも思うような生き方なんてぜんぜんできていないはずだ。でもね映画のように目と目を合わせて「うん」と現実を受け入れるんだ。二人とももう十分大人だから。あのときの二人がどんなに素晴らしくても、今の自分たちそれぞれの生き方を認めよう。そう決意した気持ちが切なくて、涙が出たよ。ここ数年見た映画のうちで、一番の傑作だと思った。最も一度見ただけだから間違って解釈したところや見落としたところもたくさんあると思う。何度でも見直したい映画だ。

この蜘蛛は 山頭火のと 同じ蜘蛛

【今日の一句】行乞の旅を続ける山頭火がかぶる破れ笠に住み着いた小さな蜘蛛。ときおりツーと糸を伸ばして、目の前を降りてくる。孤独な行脚の良き相棒だ。自分の部屋にも小さな蜘蛛がいつしか住み着いた。蠅捕蜘蛛という種類だろうか。ピョンピョンはねて、手で追い詰めるとツーと糸をたらして飛び降りる。なんて愛らしいんだろう。お前も俺の良き相棒だよ。(説明しなければぜんぜん他人に伝わらない駄作。想いが表現しきれていない)

俳句のいいところ

8月8日火、曇後晴、31度

18日は反則切符の点数がゼロになる日。いよいよ残り10日を切った。充分に注意して違反のないよう乗り切りたい。点数に余裕ができたら、すこし攻めの営業にチャレンジする。そんなに稼ぐ必要はないが、楽に平均点をクリアできる態勢を整えてゆきたい。シフトの変更も視野に入れておく。

今日の休日は洗濯をしたぐらい。買い物にも行かず一日部屋でのんびり過ごす。暑いので外出する気がまったく起こらない。フラッシュの続編が始まったので見る。他愛のないヒーローものだが、huluのイッキ見ではもうほかに見るものがない。やめようと思っていたのだが、ウオーキングデッドの新シリーズが始まる様子。ゲームオブスローンズもクライマックスに向けてようやっと面白くなってきたと思ったら「中断」なので、もう少し待つことにする。しかしこのコンテンツでhuluは月千円だから本当にリーズナブル。この点で半強制的に高額な受信料を徴収するNHKには文句をいいたいところだ。今テレビは持っていないので受信料からは開放されてはいるが。

pythonのGUIをかじったり、着想を得た俳句をこねくり回したり、それなりに楽しく過ごす。俳句はいろいろと思いつくのだが、自分の発想力や表現力に限界があり、なかなか思い通りにはいかない。でも現時点ではここまでの句を決定稿として書いておく。推敲を重ねればいつかいい句に生まれ変われるかもしれないから。

俳句のいいところは手軽にできること。スマホ1台あればOK。思いついたらまず音声認識でエディタに書き込み。文法や季語などをネットで調べながら、こなれた表現になるまで手直ししバージョンを重ねる。気持ち的にすとんと落ちるところがあれば、それを現時点の決定稿としてブログに載せる。こんな感じていま楽しんでいる。自由に発想を遊ばせても帰るべき場所があるのが、定形短詩のいいところだ。

島の夏 かぶさる雲に 手を伸ばす

【今日の一句】沖縄にきて感じることは空が近くて雲が美しいこと。高台を車で走っていると、夏の積乱雲が発達して迫力ある姿を見せている。手を伸ばせば届きそうなほどだったので、綿菓子のようにちぎって頬張ってみたい衝動に襲われた。(この気持を表現しようと試行錯誤したが今は時間切れ。夏、沖縄、積乱雲、綿菓子など多くの要素を詰め込もうとして結局は何も鮮やかに切り取れずに失敗した作)

其中日記にならう

8月5日日、晴、32度

青空文庫に山頭火の行乞記、其中日記がある。気持ちが落ち込んだときなど折に触れて読んでいる。大種田から乞食の放浪生活、その転落ぶりがすさまじく、「俺はまだこれよりはましだよな」と思えるところが精神の安定剤となってよい。

現代では山頭火は漂白の詩人と称されて、「既存の社会から逸脱した自由人」として崇められることが多い。一方で、「層雲」同人らに金をせびっては酒に溺れるという自堕落な生活を送っており、こうした側面を見て、「だらしない奴」と嫌う人も少なからずいる。自分はむしろこの山頭火のだらしのないところに共感を覚えるものだ。不遜を恐れずに言えば「同類相憐れむ」といった類の親近感さえ覚える。

山頭火がすごいと思うのは、どんな最低の状況であっても俳句を書き続けていることだ。毎日毎日、行乞記、其中日記に「今日はこんな句をひろった」と数句記している。おびただしい数の作品群。素人の自分が見ても駄作だと思えるものも多い。それを山頭火は何度も何度も推敲してはその都度日記に残してゆく。例えば「しぐれる」を用いた句。どれだけ好きなんだとあきれるぐらい数多くつくっている中で、奇跡の一句「うしろすがたのしぐれてゆくか」は生まれた。

インテリであり愚であり、聖であり卑である山頭火の振幅は大きい。層雲での地位を得た過去の作風を「山頭火くさい」として乗り越えようとする、芸術家としての矜持もある。とてつもなく大きいが、だめなやつだとけなせるところが自分にとっては親しみやすい。山口県の小郡に結んだ其中庵。自分も沖縄県の松山に小さな庵を結んだ。其中日記にならって、自由律ではないが、ひろった俳句を記してゆくことにする。

短夜に 急かるるがごと 蚊の羽音

【今日の一句】短い夏の夜。すぐに空が白々と明けてくる。俺が寝込んでいるうちに血を吸おうとお前は必死だ。でもね俺はお前の羽音を聞いている。朝がくる前になんとかして眠りに就こうと俺も焦っているんだよ。寝苦しい夜、お前は俺を攻め立て苛立出せる。だがそれは、ひとり寝の俺を慰めに来てくれているようにも思えるのだ。

俳句を始める

8月3日金、曇時々晴、31度

台風12号の影響かここ数日天気が不安定。今日の休日も一歩も外には出ずに、pythonなどをいじっていた。ワンセグで録画しておいた、プレバトの俳句夏の名人戦前半を見る。とても面白い。次週の後半戦も楽しみだ。夏井先生の添削は岡本太郎が嫌ったパターンにはめる指導法だが、それでも見ているものを納得させるだけの力量があり、へそ曲がりな自分も毎回感心させられる。やっぱり俳句はこれから始めるべき趣味の有力候補だ。自分の文章は説明的でくどいといつも感じているので、限界まで省略して映像を切り取る、という俳句の手法はひどく魅力的なのだ。このブログを俳句のブログにしてもいいくらい。

国際通りから那覇西高校まで乗せた若くてきれいな娘さんに、「ここはぜひ」という沖縄情報を教えてもらった。彼女は羽田勤務だが繁忙期の3か月限定で那覇空港に助っ人にきているそうだ。沖縄大好きで自分と違って滞在期間が限られているので、同僚などからガンガン情報を仕入れては、様々な沖縄体験を楽しんでいる。自分が移住してきたばかりだというと、「私も将来は移住したい」とうらやましがられた。彼女が体験して得たとっておきの情報、そのうち自分も試してみようと思った。

pythonのGUI環境を構築しようと思ってGoogleで検索。様々な方法が存在することがわかって、DLしてはインストール。使用方法をまたGoogle検索。これを繰り返しているうちに頭が混乱してきた。情報に振り回されている状態。ネットの情報通りにやれば、それなりの環境が作れるのだが、力量が追いつかない。素人のくせにプロ並のことをしようとすると無理がでる。道に迷って頭がプチパニックになって、すべてを放り出したくなる。プログラミングに関してはいつもこんなパターンを繰り返している。

プログラミングも趣味のひとつとして楽しんでいるのだが、なかなか上達が実感できない。思うにアプローチの仕方が間違っている。まず目標を明確にすべきなのだ。それからゴールに至るまでの計画を立てる。そのために必要なことを学んだり用意したりする。この順番が正解。面白そうなことや便利そうな環境があれば何でも手を出してみるというのが今までのパターン。それも特に目的もなしに。

まずpythonで小さな目標を立てて、新しいアプローチを実践してみよう。アラームクロックを作る→サンプルコードを探す→コードを解析→自分用にアレンジ→必要なコードを探す→実装→デバック→exe化

本当はこのアプローチが一番効率がいいんだろうな。でも今までは何事に対してもこの方法では向き合っていなかった。「目的をもって始める」―プログラミングに限らず、生活面においてもすべからくこの小さなチャレンジを適用してもいいかなと思っている。

夏祭り ひっつめ髪の 濃きルージュ

【今日の一句】祭りの会所で休んでいる女性。法被姿にねじり鉢巻のいなせな出で立ちに、真っ赤な口紅。そのアンバランスさに目が奪われた。祭り装束に濃いルージュという違和感ゆえにかえって色気がただよう。鮮烈な赤い唇が、暑い夏の夜の官能的な祝祭空間へと誘っているかのように見えたのだ。