水泳が気持ちいい

5月30日木、曇時々晴、27-22

深酒を控えているせいか、このところ体調が良い。

今日は休日だったので、ゆっくりとしたペースでジムへ。水泳教室の初級に参加しているのだが、ゆったりと泳ぐのがなかなか難しい。無駄な力が入っているせいか、25mを泳ぐとへろへろに疲れてしまう。まあ一歩ずつ上達してゆけばいい。

1時間のレッスンが終わったあとは、とても気持ちがいい。始めた当初はかなりの疲労感が残ったが、今では心地よい爽快感に浸れるまでに体力がついた。泳いだあとのジャグジーやサウナなど、シャワーだけのアパートでは味わえない贅沢さを満喫している。これは温泉に入ってリラックスしている感覚に近い。温泉にはそうそう行けないが、プールなら週3回は通える。居ながらにして、温泉気分を味わえるわけだ。

ジム通いもそろそろ1か月が過ぎ、ライフスタイルとして定着しそうな予感。やむを得ない理由で万が一中断しても、止めてしまわないようにしたい。

梅雨寒に カモマイルティー 淹れる夜

 

新たなライフスタイル

2019年5月16日、曇時々雨、27度-24度

連休明けから本格的にジムに通い始めた。月木土は水泳教室、火金は筋トレというスケジュール。結構タイトだが、ジャグジーやミストサウナを楽しみに、今のところサボらずに通えている。

還暦を過ぎて、あらゆる面でRe-born計画を進めているのだが、ジム通いはさしずめクラブ活動のやり直しと言えるだろう。正直、からだは芯のほうで、じわーっと疲れてはきている。しかし、特に水泳で言えることだが、泳いだあとはからだが解き放される感覚がある。なんだか自分のからだであってそうでないような、あけっぴろげの自由な開放感と言ったらいいだろうか。三日坊主が常の自分だが、このはじめての不思議な感覚を頼りに、続けてゆけそうな気がしている。

クラスは初級。クロールと背泳を練習中。できるだけ疲れずに長く泳げるフォームを習っているのだが、25メートルを泳ぐともうへろへろになってしまう。フォーム以前に、体力の問題があるようだ。なにしろまず走ることすらできないのが現状だ。もう何年も走るということをしていないせいで、情けないことにとっさのときにもからだが動かない。

水泳では有酸素運動、筋トレでは足と胸の筋肉をつけるトレーニング、と両面から体力をつけるプログラムを実行中なので、まあそのうちに長い距離を泳げるようになる、と信じて焦らずに練習を続けるつもりだ。まったくの文化系体質の自分だが、プチ体育会系の新たなライフスタイルに、今は楽しく新鮮な日々を過ごしているところだ。

令和元年

2019年5月1日水、雨、25-22度

改元とはいえ、自分には何の関わりもないことなのだが、やはり日本人。なにやら記録に残しておきたくて、ブログを記す。思えば平成のときはちょうど30歳あたり、東中野に住んでいて、寒い中ビデオを借りにいった記憶がある。今回は仕事中に改元を迎えた。今はテレビも新聞もない環境なので、特にマスコミにあおられることもなく、淡々と時代の移り変わりを受け入れている。

自分の爺さん婆さんは明治生まれだった。ちなみに父は昭和元年。母は昭和3年生まれだ。自分は昭和32年生。明治というと相当な世代間ギャップを感じたものだが、令和世代からすれば昭和も同じように遠い遠い昔話の類になるんだろうな。

最近のトピックは、慶良間諸島の阿嘉島に日帰り旅をしたこと。泊からフェリーで90分ほど。往復運賃は五千円弱。12時ごろ着いて、歩いて20分ほどのニシハマビーチに。曇天模様だったが、やはり海は美しい(写真参照)。連休前を狙って行ったので、ビーチには監視員が2人いるだけで、他にだれもいない。何十年かぶりに、プライベートビーチのごとく海水浴をゆっくりと楽しんだ。

その後、集落を散策。特に風情があるわけではないが、集落前に広がる海もなかなか良かった。消波ブロックは艶消しだが、漁船や住民の安全をまもるためにはいたしかたない。途中、慶良間ジカの親子にであってびっくり。3時半の帰りの船まで1時間ほどあったので、唯一空いていた店で生ビールを2杯飲んで時間をつぶす。飲める店は2件あったが、どちらも2時閉店。自分が飲んだ店は特別に3時まで開けてくれた。

別荘の候補地探しの一環だったが、住むにはイマイチかな。でも海を楽しむには充分な美しさだ。シュノーケルの道具をあつらえて、次はウミガメでも見に行くかな。慶良間諸島は泊から近いので、これからもいろんな島を巡ってみたい。

次なるトピックは、娘からの「アメリカで働きます」との連絡。彼女は前からアメリカで働きたいといっていたので、夢を叶えたことになる。おめでとう。

ただ自分には、アメリカ渡航にまつわる苦い経験がある。若いときに付き合っていた女性がアメリカに留学した。彼女は真面目でとてもしっかりした女性だったので、自分は何も心配することなく、互いの道を歩んでいけると信じていた。ところがしばらくして、彼女があるカルト教団に入信したことが分かった。あとからルームメイトに聞いた話だが、彼女はとても寂しがっていたとのこと。いくらしっかりした人間でもまだ20歳を過ぎたぐらいで異郷に一人いることがどんな精神状態をもたらすか、自分もまだ若かったので想像がまるでおよばなかった。

その教団には当時「エル・サルバドルを救え」というテーマがあって、彼女はその活動に没頭していたと思う。今はインターネットでその団体の全体像をつかむことは比較的容易だが、当時はそれが難しかった。正義の御旗を掲げられると、その本質がどうであれ、若い人に特有の正義感からその活動に共感してしまう。まして、孤独を感じている異邦人にとっては、カルト内での親密な共生感覚はかけがえのない癒やしになっていたことだと思う。

結局彼女は日本に戻ってきたが、僕らの関係はもとには戻らなかった。自分は二人の関係性を過信していたのだ。どうして異国で不安を感じていた彼女を放おっておいたのか、なぜもっと頻繁に彼女に連絡を取り続けなかったのかと、今でも悔やまれる。

娘にはこの轍を踏んでほしくない。煩がられるからあえて連絡はしないが、彼女もこのブログを読んでくれているようなので、老婆心ながら間接的にでも伝わればいいなと思って、令和初日に記しておく。

一年が過ぎた

2019年4月22日月、曇、26-23度

気がつけば、沖縄に来て一年が過ぎていた。

振り返ると本当にゆっくりとした歩みだったが、まあまあいい一年だったと思う。

プチ引っ越しをして、ネットの工事も終わり、洗濯機もとうとう購入して、いよいよこのアパートに定住する覚悟ができた。ここは松山といって、那覇でも一番の歓楽街。夜中うるさいのが難点だが、近くに大きな公園が2つあって、環境はなかなか良い。自分は海側の若狭海浜公園をお気に入りの場所にして、休日には岸壁で落日を見ながらビールを飲むのを楽しんでいる。

この一年を一言で言うとと、なんとか生き延びられているな、という感じ。さして計画もなく思いつきで沖縄移住を決断したのだが、なんとなくうまくいっている。ここでの生活はとても快適だ。今は孤独な状態なのだが、これが自分には合っている。だが、そろそろ寂しくもなってきているので、親しくできる人も欲しいなと思っている。男女問わずだが、できればやさしい沖縄美人と仲良くなれれば最高だ。

ところがそんな出会もそうそうない。ウクレレサークル、トレーニングジム、どちらもおばあちゃんばっかり。まあ話相手になってくれるだけでも良しとしている。

でもそんなにあせってもいない。だれにも束縛されない、今の環境も悪くはないのだ。自分も充分じじいなので、贅沢もいってられないが。

移住一年目の総括は、ブレインワークアウトでノートに記した。俯瞰してみると、なんとも小さい人間だなっていう感じ。でもそれが自分なんだと納得。

2年目の沖縄はもう少し活動的にやりたい。一番の課題は人間関係の構築だな。これだけは時間をかけて、ゆっくりと進めてゆくべきだと思う。

結論として、沖縄移住は成功。今は心地よい生活を満喫中!

春疾風 猫ども憩う 舟溜り

 

洗濯機を買う

2019年4月11日木、曇、24-18度

プチ引っ越しのゴタゴタで、ブログの更新がおろそかになってしまった。

トピックは波の上スポーツクラブ。2度の体験をして、入会することに決めた。まずはスイミングの習得。体力がついてきたら筋トレに励みたい。このクラブは海に面しているので、仕事に行くまでの時間を、優雅に過ごしたいと思っている。

少しは出会いを期待したのだが、昼間の時間のメンバーはばあちゃんばかり。それでも話し相手にはなってくれるので、まあ良しとしよう。

ところで、洗濯機を買うことにした。スポーツクラブに通うとなると洗濯物が増えると予想してのこと。それでなくてもコインランドリー通いは負担になっていた。一回400円かかっていたので、時間の無駄を含めるとすぐにもとは取れる計算だ。

今までなぜ買わなかったというと、荷物を増やしたくなかったから。市営住宅の抽選結果は順位10だったから、今年は無理だとわかった。当分このアパートに住むと覚悟を決めたので、購入を決めた。断捨離を始めたものの、やはり荷物は増える一方だ。

今の部屋はベランダが広い。この夏、ベランダでビールを飲みながらウクレレなんて楽しみもある。ウクレレはだいぶ上達した。

anの誕生日だったので、プレゼントを考えたが思いつかなかったので、LINE Payで少しお金を送った。そうしたらanから引き出し方がわからないとの連絡が。anのLINE は英語表記らしいので、こちらもどうしたらいいのか分からない。anはお金がもったいないので、返すと言ってきた。せっかく送ったのに返されてもな、と思いつつも、anのこんな潔癖で正直なところが好きだ。今後もいい友人でいれたらいいなと、願っている。

うりずんの候

2019年3月21日、晴、28-21度

前日飲みすぎて、起きたのが午後3時過ぎ。いつもなら今日の休日はもう終わったとばかり部屋でぐだぐだ過ごすのだが、近頃ちょっと行動的になっている。さっとコインランドリーに行き洗濯をすませ、自転車で必要な小物を買いに美栄橋のダイソーに出かける。良い天気で海風がとても心地よい。

いまごろの気候を沖縄では「うりずん」という。「潤う」が転化したした言葉ということだが、冬が終わり、大地が潤ってくる3月から入梅するころまでの期間を表すらしい。今日はまさにうりずんと言うのにふさわしい天気。買い物帰りはもう5時を過ぎていたが、コンビニでビール2缶を買って、そのまま若狭の岸壁へ。沈む夕陽を眺めながらゴクゴク。

「あー最高だな」堤防に寝転びまだ青さの残る空をながめながらつぶやく。自分にはこれぐらいの幸福で充分だ。「海辺の別荘でそよ風にふかれ、ギターを弾きながらビールを飲む」というのが沖縄暮らしのひとつの願望だったけど、なんだかもうこれでいいやと言えるぐらいの満足感を味わった。

ということで、久々に写真をアップする。

新たな騒音源

2019年、3月14日木、晴、24-14度

今日も晴天、日中はとても気持ちがいい。契約の関係で真玉橋まで行ったが、途中の漫湖公園でのんびりとサイクリンを楽しんだ。

今日の休日はなかなか忙しかった。午前中に起きて、高血圧の病院。散髪と買い物を済ませて、午後からは歯医者。そのあと、転居にともなう契約更新で不動産屋に。午後5過ぎに帰宅して、荷物を受け取る準備。ソフトバンクの光エアーとクローゼットの突っ張り棒が7時頃届いて、今日の用事は完了。さっそく届いた品物をセットして、ほぼ部屋のレイアウトは完成した。

病院を3件も掛け持ちしていると、それなりに時間は拘束されるし、かなりの出費となって大変だ。目は3ヶ月後の検診でOK、歯はあと3回の施術で完了、高血圧は2ヶ月後の受診となり、ようやくすこし落ち着いてきた。とりあえず歯は早めにすませておきたい。目も今度は左目のレーザーが必要になると思うので、注意しつつ見守りたい。高血圧はこのまま生きている限り2ヶ月に一回薬をもらいに行かなければならない。

騒音だが階下の音は良くなったが、今度は通りを挟んだ向かいのビルから大音量が。今まで通りとは反対側の部屋だったので気づかなかったのだが、かなりの騒音。やはり午前5時ごろまで騒いでいる。恐るべし沖縄の夜。だがドンドン、ズシンズシンと重低音で響いてくる音ではないので、まあ我慢できるかもしれない。

4月1日の光回線工事が終われば、完全に今回の移動は終りとなる。その前に市営住宅の抽選結果がとどくので、どうなるか楽しみではある。今度の部屋気に入っているが、やはり長くは住めないな。

プチ引っ越し

2019年3月11日月、晴、22-18度

ネット環境がないので、オフラインで書いている。

今日引っ越しをした。お昼からはじめて、大方目処がついたのが夕方。極力荷物を減らそうと努力していたのだが、生活の利便を優先すると、やはり物は増えてくる。冷蔵庫やベッドを運ぶのが大変なので便利屋さんを頼もうかと思ったのだが、同じ金額で台車が買えたので、一人で奮闘した。台車は大正解。大いに活躍してくれて、滞りなく作業を進めることができた。新しい部屋は、海側で浜風が心地よくベランダも広いので、暑い夏の夕べには椅子をだしてビールなど楽しめそうだ。ただし若狭大通り側なので車の音が前よりも激しい。

台所やエアコンも新しく満足だが、給湯器が古くて、高温にすると水圧が低くなるのが難点。スポーツクラブに入会すれば、この問題も気にならなくなるだろう。またクローゼットに衣装掛けの棒がついていない。至急通販で伸縮棒を購入する必要がある。設備的には今のところ特に問題はなさそうだ。

肝心のカラオケ騒音だが、やっぱり響いてくる。それでも慣れればなんとか我慢できるかなぐらいのレベルにはなったので、しばらく様子をみたい。

春の宵 引っ越し終えて 友と飲む

【今日の一句】一番思い出に残っている引っ越しは、谷塚から駒込に引っ越したとき。一緒に住んでいた彼女がサンタモニカに留学するので、一人暮らしをすることに。上京した当時は寮に住んでいて、それから彼女と暮らしたので、完全に一人で暮らすのは初めて。別れの寂しさを噛み締めながら、引っ越しを手伝ってくれた友とお疲れさんのビールを飲む。たしか桜も咲いていたような気がする、心地のよい春の宵だった。

変化の兆し

2019年3月9日土、雨、20-17度

一日中激しい雨。これほど長く雨が降り続くのは、沖縄に来て初めての経験といっていい。沖縄の冬は天気が悪いのが難点だ。ただし花粉症がないのは満点。東京の人に今年のひどさを聞くまで、自分はすっかり花粉症のことを忘れていた。寒くない恩恵、花粉症のない恩恵、そんな恵まれた環境を人間はすぐに忘れてしまって、あたり前のことだと気にもとめなくなる。目が見えるようになったときは感激したが、一週間もたつともうその感激もうすれ、見えて当然という気持ちになっている。

だからそんな恩恵の最たるものが健康だということを、何度も自分に言い聞かせるべきなのだ。ReBorn計画のなかで、自分の筋肉の落ち方に気がついてあぜんとした。車を運転するだけの生活を続けていたら、胸や腕の筋肉がすっかり落ちて、骨と皮だけになっている。腰痛も背中や臀部、足の筋肉が落ちてきたせいだろう。筋肉はアンチエイジングに重要な役割を果たすらしいので、ここはがんぱって筋トレをしたいところだ。ということで簡単なシットアップとスクワットを始めたところ、なんと一日中運転しても腰痛がでなくなった。これは健康のために投資するしかないと、今ジムに通うことを検討中だ。近くに波の上スイミングスクール・スポーツクラブがあるのでここで筋トレやろうかななんて考えているが、また三日坊主に終わるんじゃないかと躊躇もしている。中野にいるときTACに入会したが、いつの間にか行かなくなった経験があるからだ。

懸案となっていたサークル活動は、ウクレレクラブに入会した。毎週1回のレッスンだが時間が早いので、早起きしなければならない。ウクレレはとても楽しく、音色もすばらしい楽器なので、これは何とか続けたいと思っている。楽器はすでにアマゾンに注文中で、今から届くのをわくわくして待っているところだ。

もう一つの懸案、カラオケの騒音問題は、不動産屋(問題のレオパレス系列)の提案で、一階上の部屋へ移動することになった。どのくらい改善するかは分からないが、今よりもマシなのは確かだろう。環境が変わってまた新たな問題が生まれるのかもしれない。しかし、それもまた面白いかなと思っている。引っ越しは11日なので今は何かとあわただしい。

移住からほぼ一年。ようやっと生活に変化の兆しが見え始めた。いかにものんびりした動きだが、この先の人生ひょっとしたらあと20年ぐらい生きなければならないかも、と考えるとこのくらいのペースでちょうどいいのかなと考えている。だが、ブレインワークアウトのおかげでやりたいことが明確化し、その実現への欲求も高まってきている。活動の意欲がわかないのは、単に体力が落ちているせいだとも悟った。より活動的な一年にするために、サークル活動やジム通いを日常生活に取り入れた新しいライフスタイルを確立する必要がある。それは午前5時には寝て正午(ウクレレのときは9時半)には起きるという単純なことがまず基本となる。

これまでは7時ごろに寝て、午後2時、3時に起きていた。眠れないので飲酒に夜食まで食べて限界まで起きているという、冷静に考えると実に不健康な毎日を過ごしていた。今は夜食は食べておらず、眠れなくても5時にはベッドに入るようにしているが、なかなか寝つかれず飲酒に頼ることも多くて、良い睡眠、良い目覚めとはまだいかない。5時に寝て12時に起きる生活も決して健康的と言えたものではないが、今の仕事を続ける限り、このパターンで生活リズムを整えるしかない。

長文の記事になってしまったが、引っ越しによりネットがしばらく使えなくなるので、今のうちに書けることは書いておくことにした次第。

いろいろ学んだこと

2019年3月7日木、曇のち雨、20-18度

昨日今日と気温が上がらない。風が強いので、肌寒く感じる。

さて目の不調により、パソコンが使えなかったので、書くべきことが山ほど溜まっている。どこから始めようか。

やはり目のことから。病名は後発性白内障で、水晶体を支える薄い膜に細胞などが付着して、物が見えづらくなるというもの。レーザーで膜を破壊することで症状は劇的に改善した。白内障手術患者の約20%が術後5年以内に発症するらしい。自分はこの2割の確率に当たったわけだ。

スマホの麻雀ゲームにはまったことが不調をもたらしたと単純に思っていたのだが、実は原因は別のところにあった。ゲームのせいでこれまで右目の視力を補ってきた左目がドライアイぎみになり、一気に調子が悪くなったのだ。それまで右目が悪いなんてうかつにも分からなかった。スマホゲームのおかげで、早めに気づけたのだった。ドライアイの症状も良くなっているが、左目の膜にも多少付着がみられるので、今後も早めに対応できるように注意して置かなければならない。レーザーは簡単にできるが、予約待ちをしなければならない。その間が本当に待ち遠しいからだ。

年明けから実に様々な事件があった。病気になったり、怪我をしたり、事故ったり、調子にのったり、落ち込んだり。今の状態は精神的にはかなりいいコンディション。アクシデントに対して、しっかりと対応できているという一種の達成感があるからだ。終活、断捨離がもたらしてくれた前向きな高揚感は今も続いている。これに味をしめて脳内を断捨離しようと、ブレインワークアウトも始めた。これは欲求、欲望、願望、すべきこと、気がかりなことなどをノートにづらづらと書き出すだけのこと。中高生のような内容で、読み返すと恥ずかしい限りなのだが、だれに見せるでなし、思いつくままに書いてゆく。この作業がすむと実にスッキリとした気分になれる。

今現在うまくいっていないのは節酒だけだ。もっといい状態になるにはこれがぜひとも必要なのだが、泡盛の誘惑に負けてしまっている。「年明け早々の良い状態を思い出せ」と自分に言い聞かせて、その時のブログを読み返したところだ。

特筆しておきたいことがある。それは人間のからだの免疫力についての気づきだ。年始めにころんで左の小指を怪我したことを前に書いた。その数日後驚くべきことが起こった。強く打ち付けた部分に剛毛が生えてきて、皮膚も異常に厚くなっていたのだ。右手と比べるとその差は一目瞭然。「俺の身体は必死になって傷ついた部分を護ろうとがんばっているんだな」と、これにはちょっと感動を覚えた。人間にはこれほどつよい免疫の力が備わっていると気づいた瞬間だった。小指はいまでも痛むが、我が免疫力の強さを思い出させてくれる、頼もしい痛みだと思うようにしている。

前記事で書いたReBornという発想も、この免疫力への信頼から生まれた。老化は進んでも、多少のことでは免疫力は病気には負けないだろうと。まあたんなる希望的観測なのだが、上記のエピソードは自分にこう思い込ませるにたる気づきだった。以前「落日の闇切り裂きて上り月」と終末の感傷から転じて再生への希求を詠んだが、ここでも終活からReBornへと発想の転換がなされたようだ。