小人閑居して…

2020年8月30日日、晴、27-32

コロナの感染者数がようやく減り始めた。もっとも検査対象を絞っているので、当然の結果ではあるが。県独自の緊急事態宣言は再度延長され、9月5日までとなった。ちょうど沖縄のお盆の時期にあたり、濃厚接触の増大が予測できるため妥当な措置といえる。しかし、延長がアナウンスされたのが直前となったのはいただけない。お盆が危ないのは子どもでも分かるはずなのに。

9月からは自宅待機も明けるはずだったのだが、超大型台風の襲来も予報されていてどうなるか、様子見が必要だ。コロナ禍のなかで、時間だけは十分過ぎるほどにあった。だが、お金が目に見えて減っていく焦りと自室にこもるしかないイライラとでストレスがたまり、大げさに言えば「コロナうつ」みたいな状態になってしまった。コロナ以前がとてもいいコンディションでいれただけに、喪失感が大きかったのだ。

去年の暮から止めていた家飲みに手を出し、次第に量が増え、翌日は二日酔いで体調不良、無気力になって部屋にこもり、深夜になっても眠れないのでまた飲酒、といった悪循環で、時間を浪費してしまった。楽しみにしていた水泳も身体がしんどくなり、2回連続でズル休みしてしまったときに、ようやく「これではイカン!」と目が覚めた。

断酒して3日目でようやく体調が戻り、深酒がどれほど身体と心に良くないか、身に沁みてわかった。今日で4日目だが水泳も思い通りの泳ぎができ最高の気分。あまりの気分の上がりように、エアコンのよく効いた部屋で缶ビール2本で祝杯。飲酒もビール2本ぐらいなら人生を豊かにしてくれる。飲みながら嵐の前の美しい夕景と手作りディナーを楽しんだ。

ようやっと有意義な時間の使い方ができそうな精神状態になったと思ったら、もうそんなに時間は残されていない! 毎度のことながら、我が身の愚かさに苦笑い。ともあれ今日だけは最高の気分で過ごせたので良し!

春の闇 走行音と 汝(な)の寝息

*季節にそぐわない句ですが、春に着想したものがようやっと形になったので。

 

二度目の自宅待機

2020年8月5日水、晴れ、28-33

沖縄のコロナはひどいことになってきた。感染者が一日100人に迫る勢いだ。GOTO下の4連休には県外からの観光客が大挙訪れたので、この週末から来週頭にかけて一層の増加が予測できる。8月末には東京の友人らが来沖する予定だが、これはちょっと無理かもしれない。一応、県の緊急事態宣言は15日までだが、それで収まるとは思えないのだ。旅行代金のキャンセル料がかからないうちに、友人らに状況を知らせて、思いとどまってもらおう。

仕事の方も一勤三休で、ほぼ自宅待機状態。公民館のウクレレサークルも休止が決まった。ジムはまだ開いているが、筋トレは感染リスクがあるのでプールのみ通っている。個人的にはコロナを怖いとは思わないが、万一感染した場合の社会的な影響を考えると、自重せざるを得ない。平たく言えば、他人に迷惑がかからないようにしなければということだ。したがって外飲みもカラオケも自粛、アパートで暇している状況だ。色々目論んでいたことなどあったのだが、しばらくは人と関わることなどもできるだけ避けなければならないので、一人でできることをやるしかない。実はどんな状況下にあっても孤独に、コストもかけずにできる活動をはじめているのだが、これはまだ公表できるレベルにはない。今のところこの活動をすることが一種の精神安定剤になっているとだけ言っておこう。もし継続できれば自分のライフワークとなりうる活動だ。

最近はyoutubeのチェックに余念がないのだが、我がテリトリーである波の上界隈を紹介したビデオがあったので転載する。

前にも紹介したが、自分のアパートは松山一丁目。そこから若狭公民館へ出て左折、若狭中通りを横切って対馬丸記念館、芝居顕彰碑を通って波上宮へ。ここから左折して辻の風俗街を抜けると職場、直進して自動車学校を抜けると自分が通っている波の上スイミングクラブ・ジムとなる。同じ敷地内にボウリング場もある。そして突き当りが那覇に残された唯一の海水浴場、波の上ビーチとなっており、その周囲はうみそら公園、旭ヶ丘公園、若狭海浜公園といった緑地帯が広がっている。職場へは自転車で約15分弱、ジムへは10分弱ぐらいだろうか。ビーチの入り口近くにはマックスバリュがあり、食料品はいつもここで仕入れている。ビーチの上にかかっている2本の橋は、一つは臨海道路の波の上橋。もう一つが西海岸道路の高架でいつも空港へいくのに利用している。東シナ海に沈む夕日がとてもきれいで、俳句にした日没の句はここから見た光景を読んだものがほとんどだ。ビーチから見ると無粋な橋なのだが、海に入ってしまえばまったく気にならない。思い立ったときに気軽に海水浴を楽しんでいる。

自分の愛してやまない若狭、波の上界隈。少しでも雰囲気を感じていただけることを願って、この動画を転載させていただいた。

 

 

気持ちの動き

2020年7月7日火、晴時々曇り、27-33

英語日記をつけるという動画を見ていたら、講師が「書くことがなくなるのは行動を記録しているから。毎日変わった行動をとっている訳ではないので、毎回同じことを書くはめになり、うんざりしてしまう。それでは日記ではなく日報だ。日記とは情緒や感情、感動などを記すもので、そうすることで書くネタに困ることがなくなり、記録としてもより価値の高いものになる」といった趣旨のことを話していた。

同感。ブログの更新が滞っているのは、まさに異なるイベントが発生するまで書くことがないから。そこで行動記録から気持ちの動きを記す内容にシフトしたらどうか? そうすることで更新頻度が上がるはずだ。少なくても週に一度は更新したいと考えている。このブログを始めたころのように、できれば写真も掲載したいところだが、それはそのうちということで。カメラが使わないまま放おってあったので、今少しずつ勉強しているところ。移動手段を手に入れることができれば、県内各地へ撮影旅行ができるのだが。これはこのさきのお楽しみにとっておく。

さて、前回の更新から一週間。気持ちが動いたことを書き出してみる。普段はめったにないのだが、人と口論になったのが二度ほどあった。一度目は、帰ろうとする彼女をむりやり引き戻そうとする若い男と。「あんたと一緒にいて何が楽しいわけ」と罵声をあびながらもしつこく追いすがる彼。「兄さんいい加減にしろよ」と口をはさむ自分。男と口論になり、北九州気質まる出しの荒っぽい言葉を吐いてしまった。彼女のとりなしで事なきをえて、最後は二人一緒に夜の街に消えていった。二度めは自分の主張を絶対に曲げないおばさんと。同じ事柄に接しても他人と解釈が違うことがある。そのとき自分が間違いないと認識している事実=正義、を否定されるとついムキになってしまう。これは自分の欠点で、「正義ほど厄介なものなし」と言い聞かせて自戒しているのだが、これがなかなか治らない。自分の正当性を主張する彼女と言い争いをする自分。途中で不毛さに気づいて、何やってんだかと自嘲してしまった。

ちょっとは心が浮き立つこともあり、二人の魅力的な女性と出会った。一人は容姿はふつうだが歌声がとても魅力的なSさん。四十代ぐらいの分別のある大人の女性だ。もう一人は同じ四十代だが若くて美しいTさん。こちらは大人の色気とは程遠い、傷つきやすい少年といった雰囲気だ。後で人に聞いたのだが元アイドル歌手だったとのこと。調べるとWikipediaやYoutubeにものっているメジャーな世界を経験した人だった。酔ってさかんに毒を吐きながら媚を売るといったふうで始末に負えないのだが、どこか捨て鉢で危なっかしいところが放おっておけず、興味をそそられた。

Tさんとは歌の趣味があって、二人で自分の行きつけのバーにでかけた。とてもいい雰囲気になったのだが、何かの拍子でTさんがマスターを激怒させてしまった。店を飛びだした彼女。後を追う自分は、心に傷を抱えているだろう彼女を守りたい気持ちになっていたが、彼女は自分の腕を振り切って夜の街に消えてしまった。なぜ強引にでも抱きとめなかったのかと悔やまれる。荒れずにはいられないやるせなさ、そんな彼女の心持がわかるような気がするのだ。結局このデートはTさんにもマスターにも気の毒な結果となってしまった。

「俺はまったく恋愛には向かないな」 翌朝、あの口論をした若い男の振る舞いと自分のそれとを比べながら、二日酔いの自分はそうつぶやいていた。

落陽や東シナ海へ斑猫

 

程遠い日常

2020年6月26日金、曇り時々雨、24-28

梅雨明けが6月12日と異常にはやかった。いつもは慰霊の日の23日前後だから例年より10日ほどはやく、入りも遅かったのであっというまの梅雨、という感覚だったのだが、この一週間は雨が続き、戻り梅雨といってよい天候だ。むしろまだ梅雨明けしておらず、一時的な晴天は梅雨の中休みだったと考えたほうがいいのかもしれない。

仕事も、ジムも、ウクレレ教室も再開して、表面的にはコロナ以前の状態に生活はもどった。だけど12月、1月ごろに感じていたコンディションの良い心身の状態からは程遠い。経済的な不安定さも続いている。

ないものねだりをするのではなく、今の状態を認めて、またいちから少しずつ進むしかない。諦念ではないが、そう開き直って、新しい日常のルーティンを決めて実行し始めた。継続できないのが自分の最大の欠点だとわかっているが、最近気づいたことがある。やめてもまた始めればいいんだ。ということ。やめることで罪悪感を感じて、放置してしまうのではなく、少しでも関心があるなら、頃合いをみてまた始めればいい。

こんなことの繰り返しなので、何をやっても進歩はとても遅いのだが、「だれに比べることもない、自分で楽しめればいいのだ」と日々を過ごしている。

Yシャツの襟首黄ばむ戻り梅雨

小康状態

2020年5月15日金、晴、24-29

4月は寒く、5月に入っても天候はすぐれず雨続きだった。11日に梅雨入り、初っ端に洪水警報レベル4の豪雨の洗礼。以降はまあまあの晴天が続いており、気温も30度近くまで上がっている。沖縄ではこの2週間ほどコロナの感染者がでていない。梅雨の高温多湿がウィルスを殲滅してくれないだろうか、これが今の沖縄県人の願いだ。

この一日二日で飲食店などの営業再開が目立つ。波上スイミングスクールも今日から利用可能となったので、明日久しぶりに泳ぎにいこうと考えている。明日は夕方から仕事だが、今後どういう勤務形態となるかは経営者の判断しだいだ。たぶん、20日までには通常業務となることだろう。ただ沖縄では3月末にいったん緩んで、4月の感染拡大を招いたにがい経験があるので楽観は禁物だ。

自宅待機で時間はもてあますほどあったのだが、経済的不安から消費もままならず、外出ももってのほかとなれば、やることは限られてくる。自宅では筋トレもやる気が出ず、せっかく1年間かけてつちかった筋肉も体力もすっかり落ちてしまった。以前なら万が一コロナにかかっても大丈夫、と免疫力には絶対の自信があったのだが、今ではかなり心もとない。

①映画・海外ドラマを見る、②ウクレレの練習、③終活、④ブロガー、ぐらいが目立った成果。副業をしようと広告収入が得られるブログを新たに立ち上げて、アフェリエイト会社に申請したがパスしなかった。もっとコンテンツを増やす必要があるらしい。何事も稼ぐのは容易じゃないね。でもこれがうまくいったら不労所得が入ってくるので、老後の武器になるかもしれない。

ウクレレは楽譜をPDF化してonenoteにまとめる作業。オートスクロールにしてみたが、うまくテンポがあわず試行錯誤を繰り返すも結局は断念。ただonenoteとPDFはかなり相性がよく、onenoteに保存しておくとスマホでも見られるのでそこそこ便利になった。弾き語りの練習は酒が入らないと、こっ恥ずかしくてなかなかできない。

テレビがないのでアマゾンプライムの動画に頼っている。映画は「風と共に去りぬ」「シング・ストリート」「あん」、ドラマは「ゴーティマー・ギボン」が特によかった。「ゴーティマー・ギボン」はSCRIPTを手に入れたので、リスニングの勉強にも役立てたい。批評を書くと長くなるので、言いたいことはかなりあるのだがあえてやめておく。

一番はかどったのは終活かな。もういつ死んでもいいくらい。孤独死の後始末がいかに大変か、聞かされたことがあったので、那覇に住んでからはいつも孤独死対策を気にかけていた。目に見えるものは気にしなくてもいいんだ。すべて廃棄処分してもらえばいい。問題は見えない部分。資産や契約、人間関係などだ。これらを後始末してくれる人にわかりやすく伝える手段を考えること。資産・契約・人間関係、今の自分はこれらのことを最小限に絞って生きているが、それでも何らかの係累は生まれる。まあその部分をすこし整理できたかなと思っている。

春疾風 鉄柱たたく 旗の綱

今日から自宅待機

2020年4月14日、晴、20-16

4時間ほど寝て会社へ。自宅待機を打診され、受け入れる。仕事をしても開店休業状態なので、いっそ休んだほうが潔い。今日から月末までの予定で、待機中は多少の手当が出るそうだ。

より一層厳しい経済状況に陥ることは目に見えているが、ここまでくると開き直りの気持ちも。2年前の今日、身一つで那覇空港について、荷物もないがらんとしたアパートで新生活をスタートさせた。寝袋に潜り込んで一夜をやり過ごしながら、19で上京したころを思い出していた。「第二の青春だな」と気持ちが高ぶってなかなか寝付けなかったものだ。

また2年前に戻って、一から始めると思えば別になんてことはない。当時に比べ、職、家具・家電、知人、趣味、馴染みの店、など有形無形の財産も増えた。いわゆる資産と呼ばれるものが無いのが残念ではあるが。「なんくるないさ」の精神で、元気よく楽しい日々を過ごしてゆきたいと考えている。

昨日2か月ぶりに日誌を書いたことで、考えが整理され、精神状態が多少上向いたようだ。やはり生活の中で文章を書くことを欠かしてはならない。ともあれ突然与えられた2週間あまりの暇な時間をどう有意義に過ごすか? 昨日書いた生活リズムの立て直しとともに、早急にプランを練ることとする。

ちなみに今日は、夕方会社から戻って、アマゾンプライムで映画「翔んで埼玉」「カメラを止めるな」「君の膵臓をたべたい」の3本を見て過ごした。昨日が洋画だったので、今日は邦画を見たくなって、話題となったこの3本を選んだのだ。「君の膵臓をたべたい」で号泣。もう何年も映画館にいってないし、テレビもないので浜辺美波を初めて見たのだが、彼女の瑞々しさに完全に魅了されてしまった。まったく期待していなかったがストーリーもよくできていて、見終わって本当に心が洗われた。

これに味をしめて、感動モノとして評価の高い映画をプライムからリストアップする作業を始めた。暇のつぶし方のひとつは、プライム・ビデオで決まりだ。

春の夜や 君の寝息と 走行音

 

移住2周年、最悪の幕開け

2020年4月13日、曇のち晴、19-15

今日は沖縄移住2周年目の記念日。あっという間の2年間で、不器用ではあるが少しずつ経験を積んで、総じて楽しくノーストレスの日々がこれまでは続いていた。ところがウィルス騒動のおかげで、安穏な生活も一変した。沖縄の観光は壊滅的で、特に4月に入ってからはあの国際通りも人通りがまばらな状況だ。ここへ来て感染者の数も百人に迫るほどの勢いで増加している。

しばらく感染者がでなかったので、3月中は自分も含めてかなり楽観的なムードがただよっていた。県内外から大勢の若者たちが卒業旅行などで訪れ、中国人観光客に変わって国際通りの主役となっていた。たぶんこの時期に今の感染増の要因となるウィルスが持ち込まれたのだろう。

楽観ムードに変化が起こったのは「志村けんが亡くなった」というニュースが3月末に流れてからだ。ウィルスの怖さを初めてリアルに感じた瞬間だったように思う。志村さんの死は、特にファンとは言えない自分にも一種の衝撃として胸に迫ってきた。スナックで隣に座った大東島出身だという女性も同じ気持ちだったのだろう、2人で「東村山音頭」を熱唱して彼を偲んだ。

この時もまだどこか「東京のできごとだ」と他人事のように思っていたはずだ。平気でスナックで飲んでいたし、カラオケも気にしていなかった。だがこのころから感染が目立ち始めた。そして総理の緊急事態宣言、玉木知事の来県自粛、外出自粛要請が出るに至って、沖縄も一気に危機感が高まった。先週末現在で、飲食店の3割程度は臨時休業の貼紙を出している感じだ。身近なところで言えば、自分が通っているスポーツジムもしばらく休館、ウクレレサークルの活動も停止中だ。

今日はオフの日だったのだが、外出もせず一日中部屋にいた。映画を何本か見たが、生活のリズムが狂って、心は晴れず、体もだるい。ジム通いとサークル活動がいかに楽しく生活の中心となっていたか痛感する。外飲みを自粛しているストレスからか、数か月断っていた家飲みを最近また始めてしまった。飲んでうたた寝を繰り返すので睡眠も滅茶苦茶、朝まで寝付かれず、思いついて今このブログを書いている。

収入も激減して、乏しい蓄えを切り崩しながら生活せざるをえなくなった。この状況が続けば年金がもらえるまで持ちこたえられないかも、と危機感を抱く。「いざとなったら野垂れ死んでもいい」と腹をくくったつもりの沖縄移住だが、今回の出来事はあまりに想定外で、2周年の記念日を最悪な気分のものにしてくれた。

自分だけでなく、福岡に住む老母やアメリカにいる娘も心配だ。どうかみんな無事に切り抜けてくれと願わずにはおれない。

咳ふたつ 塩なめてみる 春の風邪

免疫力

2020年2月27日木、晴、23-18

年明けから何かと慌ただしく、更新できないままはや1か月が過ぎてしまった。細かいことは振り返ってもしかたないので、記録に残すべきことのみ記しておく。

1月に続いて2月も暖かい日が多かった。「記録的な暖冬」という表現もまんざら大げさではない。夏日を記録する日もあって、真冬でも半袖で過ごすという、南国ならではの体験をした。もちろん震えるような寒い日もトータルで7日ほどあることはあった。水道の水が冷たいと感じたのは洗車の際に1度だけだった。最高気温が20度を切って、最低気温が13度ほどに下がると沖縄でいう寒い日である。こんな日は北風がビュービュー吹いて、体感温度はかなり下がる。だがこの程度の寒さはかえってありがたく感じた。季節の単調さを救い、身をしゃきっと引き締めてくれるからだ。

今日はいい天気でとても過ごしやすかった。あと2、3日寒の戻りなどあるかもしれないが、3月の声を聞いたらこのまま気温は上がってゆきそうな気配だ。

県内の新型コロナウイルスは現在まで発症が3件。ダイアモンドプリンセスの乗客が大挙上陸した割には、感染は広がりをみせていない。感染した2名のドライバーは気の毒だ。自分自身はたまたまその日乗せなかっただけで、クルーズ客はタクシーにとってお得意さんなのだ。ダイアモンドプリンセスは若狭に停泊したから、そこから大多数の乗客は国際通りに向かう。時間にして10分から15分。この程度の濃厚接触では感染しないということか。罹患したドライバーのうち1名は南部まで乗客を運んでいるから、時間にして40分ほど。もうひとりは複数回、若狭-国際通り間を運んだというからこれも接触時間は延べ40分ほどになる。接触時間の長さが感染の有無を左右したのではないかと推察される。

もうひとつは気温だ。北海道での感染ぶりをみると、沖縄の気温の高さが幸いしているのではないか。ではなぜ同じ南国のシンガポールで感染が目立つのか。締め切った室内で冷房という環境がウイルスにとっては都合がよかったのではないか。今の沖縄は冷房をするほど暑くはなく、通気性を確保できている環境ではある。まああくまで個人的な推測に過ぎないが。

テレビも新聞もないので、マスコミがどう煽っているのかわからないが、個人的にはあまり心配はしていない。万が一感染源になったらとやかく言われるんだろうな、って面倒くさく思うだけだ。たぶん肉体的ダメージよりも社会的なダメージのほうが大きいんだろうな。社会的な立場が大きければ大きいほど受けるダメージも大きくなる。日本人の横並び体質を考えると、自粛ムードが広がるのも致し方ない。学校が休校になるそうだが、満員電車はどうなるんだろうな?

自分が安心していられるのは、体の免疫力が高まっているという自負があるからだ。水泳をはじめて約10か月。泳力のほうはなかなか上達しないが、体のコンディションは非常によくなってきている。薄着ベースの生活なのでうっかりして体を冷やしてしまうこともよくあるのだが、風邪をひきにくくなっている。ひいても以前のように長引くことはなくなって、2、3日で不快な症状から抜け出せる。熱を出して寝込むなんてこともなくなった。

加えて今年の目標でもある「断酒」の効果。1月に続いて今月も4回の外飲みだけで、晩酌は一切やらなかった。1週間に一度だけ飲み屋で飲むといったペースだ。アルコールの常習がいかに体から元気を奪っていたか、この2か月思い知った。適量なら晩酌もいいと思うのだが、いつも度を越して飲んでしまうのが家飲みの悪いところ。アルコールが残っていないか心配しながら、仕事に出る毎日だった。

今では何も心配もなく運転も水泳もできる、朝は体調良く起きれる、とメリットは大きい。デメリットは食欲が異常に増したこと。がまんできなくて一時やめていた夜食をふたたび摂るようになった。67キロまで落ちた体重が70キロまで増えているのが気がかりだ(適正は68キロ)。夜食をまったく摂らないと体重が下がりすぎる(水泳や筋トレで代謝が上がっている)ので、適切な食事の量と内容を考えなくては、かえって体に負担をかけてしまうことになるかもしれない。

酒がなくても、食事は意外と楽しめるし、寝付けるし、一日の区切りもつくもんだと改めて思っているところだ。晩酌をするようになって何十年たつだろうか。20代のころは晩酌などしていなかったように思う。やっと「酒を飲まないとはじまらない」という思い込みから開放される時がきたようだ。今年は常習的な飲酒を慎んで、体調の変化を見てゆきたいと考えている。

食事の問題は多少あるが、今は免疫力も体力も若いときのように十分だ。これは昨年から続けているre-born計画の成果のひとつで、いまの生き方にささやかな自信を与えてくれている。

住めば都

2020年1月16日木、曇時々雨、24-17

夕方頃から雨が降り出し、ちょうどジムに行く時間の午後6時過ぎには豪雨となった。もう10年ほど前になるだろうか、裏磐梯のトレッキングで主催団体からもらった雨合羽がいまごろ大活躍している。

激しい雨のなかを自転車で10分弱の波の上のジムへ。最近はほとんど辻(職場)、波の上(ジム)、若狭(岸壁)、久米(通勤路)、松山(アパート)といった近場で過ごしている。病院も買い物も仕事も趣味も外飲みも全部このエリアですんでしまうので、ことさら外へでかける必要もないのだ。

深夜の騒音などで松山(那覇一番の歓楽街)に住んだのは致命的な間違いだった、と1年目は思っていた。なにしろネット検索だけで決めたものだから。松山がどんなところなのか、アパートにどんなテナントが入っているのかまったくのノーチェックだった。大きな公園が2つもあり海も近いことと値段が安いことから、即決した軽率さを悔やんだものだった。

2年目の今では結構この利便さが気に入って、まんざら悪くはないなぐらいの気持ちになっている。ジムにも仕事にも海にも近いというのが、かけがえがないほどありがたい。このブログは「終の棲家」探しがテーマだが、今の経済状況では当面動けないというのが正直なところ。市営住宅も壷川から辻へエリアを変更して申し込んだ。辻は昔の遊郭で、今は風俗街となっている。このエリアなら職場にもジムにもより近くなる。まあこれは当たることはまずないので、一種のおまじないだ。

さてジムでは筋トレと水泳。ジムの正月休みで10日ほどブランクがあったせいか、どちらも調子が上がらない。特に水泳が思うようにいかない。クロールが前より下手になった気がする。動画を見すぎてあれこれいじくった弊害かもしれない。バタフライはようやく25m泳げるようになった。これが唯一の救い。筋トレは筋肉痛になる始末で情けない。

年末から家飲みを控えるようにしていて、体調はそう悪くはないのだが。新年になって13日のウクレレ新年会以外飲んでいない。断酒の効果は寝覚めに現れていて、起きたときに「ぐっすり寝た感」が得られるようになってきた。これで寝付きもよくなれば、永年悩みの種だった2大悪癖が解消できるのだが。今回の断酒は結構続いているので、月4回ほどの外飲み以外はアルコールを口にしないことを今年の目標にしようと思う。結果体調がどう変わるか様子を見たい。

けいこ初め

2020年1月6日月、晴、23-16度

今日も晴れて日中は厚着をすると暑いくらい、半袖でも大丈夫ないい天気だった。

通っているジムが今日からなので、さっそく筋トレ初め、泳ぎ初めにでかけた。10日ほどブランクがあったので、そろりそろりと体を動かす。生まれてこのかたまとまった運動などしたことがなかった自分なのだが、おかしなもので最近ではジムにいかないとなんだか体の調子が良くない。ウェイトで汗をかいたり、ゆったりと泳いだりで心身ともにリフレッシュすることができた。ジャクジーで暖まれるのも冬にはありがたい。これまで週3日のローテーションをほぼ皆勤賞でまもってきたので、これからもできるだけ「途中でやめない」ことを目標にやっていきたい。何事も継続できないのが欠点だと自覚しているだけに、これは我ながらよく続いていると自負するところなのだ。

ウクレレサークルも今日が練習始め。こちらは週一回だが、朝早いのがつらいところ。簡単な曲の弾き語りならだいたいできるようになったので、そろそろ三線に移るか、それともこのままウクレレを極めるか、ただいま思案中。今はどちらかというと弾き語りの歌のほうに関心がいっている。ヴォイスチューナーというアプリを入れて測ったら、自分の声はD4の高さまでしか出ていない。しかも裏声はまったくできない。これだとキーを下げないと歌えない曲が多くなるが、そうなると伴奏のコードが難しくなる。G4、A4あたりまでを地声、あとは裏声(ミックスボイス)でこなせばかなりの歌が歌えるようになる。ということで、水泳の動画で味をしめたユーチューブで、今度はボイトレの動画を見て高音域の出し方を学んでいる。だがボイトレは一定期間じみーな練習に取り組まねば成果はでないようだ。これが地味すぎてなかなか練習が続かない。どこかに即効性のある魔法のような動画はないものかと、今動画あさりをしているところだ。

わが部屋を 産屋とせしか 蜉蝣翔ぶ