其中日記にならう

8月5日日、晴、32度

青空文庫に山頭火の行乞記、其中日記がある。気持ちが落ち込んだときなど折に触れて読んでいる。大種田から乞食の放浪生活、その転落ぶりがすさまじく、「俺はまだこれよりはましだよな」と思えるところが精神の安定剤となってよい。

現代では山頭火は漂白の詩人と称されて、「既存の社会から逸脱した自由人」として崇められることが多い。一方で、「層雲」同人らに金をせびっては酒に溺れるという自堕落な生活を送っており、こうした側面を見て、「だらしない奴」と嫌う人も少なからずいる。自分はむしろこの山頭火のだらしのないところに共感を覚えるものだ。不遜を恐れずに言えば「同類相憐れむ」といった類の親近感さえ覚える。

山頭火がすごいと思うのは、どんな最低の状況であっても俳句を書き続けていることだ。毎日毎日、行乞記、其中日記に「今日はこんな句をひろった」と数句記している。おびただしい数の作品群。素人の自分が見ても駄作だと思えるものも多い。それを山頭火は何度も何度も推敲してはその都度日記に残してゆく。例えば「しぐれる」を用いた句。どれだけ好きなんだとあきれるぐらい数多くつくっている中で、奇跡の一句「うしろすがたのしぐれてゆくか」は生まれた。

インテリであり愚であり、聖であり卑である山頭火の振幅は大きい。層雲での地位を得た過去の作風を「山頭火くさい」として乗り越えようとする、芸術家としての矜持もある。とてつもなく大きいが、だめなやつだとけなせるところが自分にとっては親しみやすい。山口県の小郡に結んだ其中庵。自分も沖縄県の松山に小さな庵を結んだ。其中日記にならって、自由律ではないが、ひろった俳句を記してゆくことにする。

短夜に 急かるるがごと 蚊の羽音

【今日の一句】短い夏の夜。すぐに空が白々と明けてくる。俺が寝込んでいるうちに血を吸おうとお前は必死だ。でもね俺はお前の羽音を聞いている。朝がくる前になんとかして眠りに就こうと俺も焦っているんだよ。寝苦しい夜、お前は俺を攻め立て苛立出せる。だがそれは、ひとり寝の俺を慰めに来てくれているようにも思えるのだ。

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