移住2周年、最悪の幕開け

2020年4月13日、曇のち晴、19-15

今日は沖縄移住2周年目の記念日。あっという間の2年間で、不器用ではあるが少しずつ経験を積んで、総じて楽しくノーストレスの日々がこれまでは続いていた。ところがウィルス騒動のおかげで、安穏な生活も一変した。沖縄の観光は壊滅的で、特に4月に入ってからはあの国際通りも人通りがまばらな状況だ。ここへ来て感染者の数も百人に迫るほどの勢いで増加している。

しばらく感染者がでなかったので、3月中は自分も含めてかなり楽観的なムードがただよっていた。県内外から大勢の若者たちが卒業旅行などで訪れ、中国人観光客に変わって国際通りの主役となっていた。たぶんこの時期に今の感染増の要因となるウィルスが持ち込まれたのだろう。

楽観ムードに変化が起こったのは「志村けんが亡くなった」というニュースが3月末に流れてからだ。ウィルスの怖さを初めてリアルに感じた瞬間だったように思う。志村さんの死は、特にファンとは言えない自分にも一種の衝撃として胸に迫ってきた。スナックで隣に座った大東島出身だという女性も同じ気持ちだったのだろう、2人で「東村山音頭」を熱唱して彼を偲んだ。

この時もまだどこか「東京のできごとだ」と他人事のように思っていたはずだ。平気でスナックで飲んでいたし、カラオケも気にしていなかった。だがこのころから感染が目立ち始めた。そして総理の緊急事態宣言、玉木知事の来県自粛、外出自粛要請が出るに至って、沖縄も一気に危機感が高まった。先週末現在で、飲食店の3割程度は臨時休業の貼紙を出している感じだ。身近なところで言えば、自分が通っているスポーツジムもしばらく休館、ウクレレサークルの活動も停止中だ。

今日はオフの日だったのだが、外出もせず一日中部屋にいた。映画を何本か見たが、生活のリズムが狂って、心は晴れず、体もだるい。ジム通いとサークル活動がいかに楽しく生活の中心となっていたか痛感する。外飲みを自粛しているストレスからか、数か月断っていた家飲みを最近また始めてしまった。飲んでうたた寝を繰り返すので睡眠も滅茶苦茶、朝まで寝付かれず、思いついて今このブログを書いている。

収入も激減して、乏しい蓄えを切り崩しながら生活せざるをえなくなった。この状況が続けば年金がもらえるまで持ちこたえられないかも、と危機感を抱く。「いざとなったら野垂れ死んでもいい」と腹をくくったつもりの沖縄移住だが、今回の出来事はあまりに想定外で、2周年の記念日を最悪な気分のものにしてくれた。

自分だけでなく、福岡に住む老母やアメリカにいる娘も心配だ。どうかみんな無事に切り抜けてくれと願わずにはおれない。

咳ふたつ 塩なめてみる 春の風邪

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