令和元年

2019年5月1日水、雨、25-22度

改元とはいえ、自分には何の関わりもないことなのだが、やはり日本人。なにやら記録に残しておきたくて、ブログを記す。思えば平成のときはちょうど30歳あたり、東中野に住んでいて、寒い中ビデオを借りにいった記憶がある。今回は仕事中に改元を迎えた。今はテレビも新聞もない環境なので、特にマスコミにあおられることもなく、淡々と時代の移り変わりを受け入れている。

自分の爺さん婆さんは明治生まれだった。ちなみに父は昭和元年。母は昭和3年生まれだ。自分は昭和32年生。明治というと相当な世代間ギャップを感じたものだが、令和世代からすれば昭和も同じように遠い遠い昔話の類になるんだろうな。

最近のトピックは、慶良間諸島の阿嘉島に日帰り旅をしたこと。泊からフェリーで90分ほど。往復運賃は五千円弱。12時ごろ着いて、歩いて20分ほどのニシハマビーチに。曇天模様だったが、やはり海は美しい(写真参照)。連休前を狙って行ったので、ビーチには監視員が2人いるだけで、他にだれもいない。何十年かぶりに、プライベートビーチのごとく海水浴をゆっくりと楽しんだ。

その後、集落を散策。特に風情があるわけではないが、集落前に広がる海もなかなか良かった。消波ブロックは艶消しだが、漁船や住民の安全をまもるためにはいたしかたない。途中、慶良間ジカの親子にであってびっくり。3時半の帰りの船まで1時間ほどあったので、唯一空いていた店で生ビールを2杯飲んで時間をつぶす。飲める店は2件あったが、どちらも2時閉店。自分が飲んだ店は特別に3時まで開けてくれた。

別荘の候補地探しの一環だったが、住むにはイマイチかな。でも海を楽しむには充分な美しさだ。シュノーケルの道具をあつらえて、次はウミガメでも見に行くかな。慶良間諸島は泊から近いので、これからもいろんな島を巡ってみたい。

次なるトピックは、娘からの「アメリカで働きます」との連絡。彼女は前からアメリカで働きたいといっていたので、夢を叶えたことになる。おめでとう。

ただ自分には、アメリカ渡航にまつわる苦い経験がある。若いときに付き合っていた女性がアメリカに留学した。彼女は真面目でとてもしっかりした女性だったので、自分は何も心配することなく、互いの道を歩んでいけると信じていた。ところがしばらくして、彼女があるカルト教団に入信したことが分かった。あとからルームメイトに聞いた話だが、彼女はとても寂しがっていたとのこと。いくらしっかりした人間でもまだ20歳を過ぎたぐらいで異郷に一人いることがどんな精神状態をもたらすか、自分もまだ若かったので想像がまるでおよばなかった。

その教団には当時「エル・サルバドルを救え」というテーマがあって、彼女はその活動に没頭していたと思う。今はインターネットでその団体の全体像をつかむことは比較的容易だが、当時はそれが難しかった。正義の御旗を掲げられると、その本質がどうであれ、若い人に特有の正義感からその活動に共感してしまう。まして、孤独を感じている異邦人にとっては、カルト内での親密な共生感覚はかけがえのない癒やしになっていたことだと思う。

結局彼女は日本に戻ってきたが、僕らの関係はもとには戻らなかった。自分は二人の関係性を過信していたのだ。どうして異国で不安を感じていた彼女を放おっておいたのか、なぜもっと頻繁に彼女に連絡を取り続けなかったのかと、今でも悔やまれる。

娘にはこの轍を踏んでほしくない。煩がられるからあえて連絡はしないが、彼女もこのブログを読んでくれているようなので、老婆心ながら間接的にでも伝わればいいなと思って、令和初日に記しておく。

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