もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――
岩垂 弘(ジャーナリスト)
第3部 編集委員として
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一九九一年(平成三年)十二月二十六日、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が消滅した。一九一七年十一月七日のロシア革命で人類史上初めて誕生した社会主義政権は七十四年で瓦解してしまったのだ。私にとっては三十七年に及ぶ新聞記者生活の中でも最も衝撃的な出来事の一つだった。
第二次世界大戦後、世界を支配してきた米ソという二大超大国の一つがなくなったのだから、これから先、世界はどうなるのか。そして、社会主義の行方は?
次々に疑問がわいてきた。私は思った。「そうだ。もう一度『インタビュー・どうなる社会主義』をやろう」と。
企画報道室にこの企画を持ち込むと、たちどころOKとなった。今度のタイトルは『インタビュー・社会主義のゆくえ』と決まった。筆者は、伊藤三郎・編集委員、新妻義輔・外報部部長代理(前モスクワ支局長)と私の三人。インタビューに登場していただいたのは、次の十六氏である(肩書きはいずれも当時のもの)。
宮本 顕治(共産党中央委員会議長)、土井たか子(社会党代議士)、宮崎 勇 (大和総研理事長)、堤 清二(セゾンコーポレーション会長)、岩井 章(国際労研会長)、池田理代子(劇画家)、猪木 正道(平和・安全保障研究所長)、湯川 順夫(翻訳家)、加藤 哲郎(一橋大学教授)、藤田 勇(神奈川大学教授)、新田 俊三(東洋大学教授)、熊沢 誠(甲南大学教授)、辻元 清美(ピースボート主催者)、森嶋 通夫(ロンドン大学名誉教授)、小田 実(作家)、弓削 達(フェリス女学院大学長)
インタビューは九二年一月七日から同三十一日まで、夕刊に連載された(この連載は企画報道室編で新興出版社から刊行されたが、その時のタイトルは『どうみる社会主義のゆくえ』だった)。
で、社会主義の総本山とされてきたソ連が消滅した後、社会主義はこれからどうなるのか。私たちがインタビューを試みた人たちのうち多くの人たちの回答は「社会民主主義になってゆくだろう」というものだった。
なら、社会民主主義とは何か。『インタビュー・どうなる社会主義』に登場願った大内秀明・東北大学教授は次のように述べた。
「(ソ連・東欧が推進してきた)マルクス・レーニン主義とは、唯物史観に根ざす歴史発展の必然というものがあって、その中で資本主義が恐慌とか世界戦争とかで一挙に崩壊し、革命によってプロレタリアが解放される、新しい社会ができるという考え方だ。それに対して社会民主主義は、経験に基づいて改良、改革を積み重ねるという考え方で、変革の過程、変化の過程を社会主義と見てゆく」
「また、マルクス・レーニン主義は、所有を中心に考える。つまり、生産手段の社会的所有=国有・国営とプロレタリア独裁ですね。それに対して、社会民主主義の場合は、もちろん所有の問題も考えるが、その際、所有のいろいろな形態を認める。むしろ、経済の機能との関係で考えてゆく。ですから、市場経済も利用する。したがって、プロレタリア独裁というよりもむしろ、経済過程の民主化を重視する。そのやり方は参加、介入、共同決定というものです。要するに、権力奪取というやり方よりも、参加、介入を通じて単に政治のレベルだけでなく社会や経済の民主化をはかるという行き方です。だから『社会』民主主義なんです。さらに、マルクス・レーニン主義は、国家体制としては一党独裁ですが、それに対して社会民主主義は多元主義だ。つまり、複数政党を前提にして政権交代の議会主義を尊重します」
安東仁兵衛・現代の理論社編集長も、こう語った。
「マルクス主義にはある種の終末観思想のような資本主義崩壊論と社会主義革命論がありますが、マルクス主義から出発した社会民主主義者ベルンシュタインによれば、社会主義とは終着駅のない無限の改革過程です。つまり、自由、公正、連帯という社会主義の基本的理念を不断に追求し、実現をめざす運動としての社会主義という考え方ですね」
こうした内容の社会主義が、これから主流になってゆく、というのだ。
『インタビュー・社会主義のゆくえ』の中でも、例えば、新田俊三・東洋大学教授はこう語った。
「米ソの二大勢力という枠組みは第二次世界大戦後、時間が経つとともに崩れてきていた。ソ連が潰れただけでなく、米国の資本主義も非常に危機的な状態になってきている。ソ連・東欧の社会主義の崩壊が、直ちに自由な資本主義体制への復帰につながるとの見方が多いが、これは西欧の社会主義あるいは社会民主主義の現状についての理解が十分でないからだ。西ヨーロッパ諸国では、社会主義政党が政権を握っている例が珍しくない。戦後の政治の流れからみると、社会主義政党が主流になっている。……ソ連が崩壊して社会主義が終わり、資本主義に戻るのだというのはなんと空疎な主張か」
「日本で感じたのは、社会主義イコールソ連型社会主義ということだった。だから、ソ連社会主義体制の解体がすなわち、社会主義の崩壊になるというのだが、これには問題があった。フランスのミッテラン大統領は演説する際、決まり文句のように『われわれ社会主義者は……』と言う。自分たちは社会主義者であるという誇りがあるのだ。他人が修正主義者と言おうとなんと言おうと、政権党まで成長し、社会主義を文化のなかに取り込んだという思いがある」
「第二次世界大戦後の西欧の実情を冷静に分析してみると、混合経済的な体制を前提としないと社会民主主義・社会民主党の活動は理解できない。社会化、国有化はだんだん市場原理とか民営化といったシステムに変わってきている。戦略的な企業でもやたらに国有化するのではなく、必要なだけの持株を政府が確保しておけばそれでいい、というのが社民勢力の経済政策の共通認識になっている」
熊沢誠・甲南大学教授は「一九七〇年ぐらいまでに世界の人々の共通の価値になっていた諸要素が、いわゆる社会主義政権によって蹂躙されてきたことが、国際的なコミュニケーションの発達によつて、社会主義政権下に生きる人々に知られるようになった。このことが既存の社会主義体制を否定する力にになっていった」と述べ、七〇年ぐらいまでに世界の人々にとって共通の価値となったものを四つ挙げた。一つは「表現の自由と結社の自由」、二つ目は「経済システムとしての混合経済」、三番目は「社会保障と社会福祉の充実」、四番目は「国の機関や企業から自立した労働組合や、市民運動」だという。
これらの普遍的な価値はどうすれば実現するか。熊沢教授は続けた。
「(新自由主義的方向をもっと強めることでは)出来ないと思います。というのは、いわゆる純粋な資本主義はサッチャー前英国首相の言う通り、徹底的に企業間競争を進める、徹底的に個人間競争を進めるということを活力の源泉としているんです。が、ひたすら競争を刺激するだけということになりますと、公共部門による人権に係わるサービスの平等な供給とか、社会保障・社会福祉の充実とか、それから労働組合の連帯にとって不可欠な行動とかが危なくなると思うんです」
「私が一番言いたいのは、社会民主主義はこれら四つの価値のどれも踏みにじらなかったということです。このことは、ドイツ社会民主党とか、スウェーデンの社会民主党、イギリス労働党とかが政権の座にあったときの社会をみるとはっきりします。私が社会民主主義が好きなのはそのためです」
「この世界で完全無欠の政治・経済制度を求めるのはもう無理です。次善の策としては社会民主主義的な行き方しかないと私は思いますね」
ところで、この二度にわたる社会主義に関するインタビューで印象的だったのは、登場してもらった三十一人のうちだれ一人として「資本主義勝った、社会主義負けた」といった単純な見解を口にしなかったことだ。三菱総合研究所会長の牧野昇氏がこう語ったことが印象に残っている。
「一九五〇年代の後半から六〇年代のフルシチョフ政権の時には、米国を追い越すような勢いの時代もありました。だが、一党独裁の長期政権のもとで腐敗が生じた。そのうえ軍事中心の政策で、効率化も考えない。言われた通りにやっていれば、そんなに働かなくとも給料がもらえる。社会主義そのものが悪いかどうかよりも、こうしたマネージメントシステムを採り入れてしまったことの方に大きな問題があるのではないかと思います」
「資本主義にも問題はいっぱいあります。いまや、モノをつくらず、工場まで売って財テクに走っている。資本主義の究極である米国では、エイズ、麻薬、離婚、犯罪が増え、本当に『大丈夫かね』という気がします。資本主義万歳、社会主義は崩壊ということはない。簡単なパターンでは割り切れないと思う」
ソ連消滅から、すでに十七年。その間、世界はどうなったか。いわゆる「社会主義」の経済システムとされた計画経済はほとんど姿を消し、資本主義を支える市場経済が地球を覆うに至ったが、その中にあって、西ヨーロッパでは一時、社会民主主義政党が大半の国々の政権を担う時期があった。その後、いくつかの国で保守政党が巻き返したが、いまなお多くの国々で社会民主主義政権が続いている。
これにひきかえ、日本では、社会民主主義を掲げていた日本社会党が消滅し、その流れをくむ社民党も総選挙のたびに不振だ。日本では、社会民主主義勢力は、いまや小さな勢力にとどまっている。
(二〇〇八年五月十四日記) |
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